遺言について考える
民法
相続
遺贈
遺書
遺言の方式の準拠法に関する法律
相続税法
遺留分
争族
贈与
遺言
全ての人に訪れる死。訪れる前に大切な人へのメッセージをしっかりと残しておきたいと思います。
お勧めリンク
商品検索
商品リンク 遺言 民法 相続 遺贈 贈与 相続税法 日本民法 遺言書
駐日英国大使館(ちゅうにち - えいこくたいしかん、The British Embassy in Tokyo)は、イギリスが日本に設置している大使館である。所在地は東京都千代田区一番町一。
180px
業務
東京の駐日英国大使館は日本における英国政府の主要代表機関であり、英国総領事館(大阪)と協力して日本での英国情報提供のために活動している。
歴史
1859年7月6日(安政6年6月7日)、ラザフォード・オールコックにより高輪東禅寺に英国総領事館が開設された。オールコックの公使昇進により、領事館は公使館となった。しかしながら、2度の東禅寺事件により公使館員が殺傷されたため、公使館は横浜に移った。その後江戸幕府により品川御殿山に公使館が建設されていたが、完成直前の1863年1月31日(文久2年12月24日)に高杉晋作らによる焼き討ちにあってしまい(英国公使館焼き討ち事件)、使用されることはなかった。しかし、公使館が横浜にあることは不便であるため、当時の公使ハリー・パークスは、1866年末(慶応2年)に公使館を横浜から江戸泉岳寺前に移転したが、これはあくまで仮のものであった。明治維新後、多くの大名屋敷が空になった。このため、1869年1月(明治元年11月または12月)頃、パークスは公使館を三田上野沼田藩の下屋敷跡に移した荻原、pg67。さらに、パークスは恒久的な公使館用地を求めて荻原、pg70。原資料は1871年11月19日付のパークスからハモンド外務次官への手紙、江戸城近くの複数の用地を物色した結果、1872年5月(明治5年)、七戸藩上屋敷、櫛羅藩上屋敷、七日市藩上屋敷、および旗本水野兵部の屋敷跡を合わせた12306坪(明治17年の本契約では10833坪)をほぼ永久に貸与されることとなった荻原、pg76。原資料は明治5年3月28日(1872年5月5日)付けの「英国公使館地所証書」。その後現在にいたるまで、この場所が英国大使館(1905年に公使館から大使館に昇格)の所在地となっている。
一番町の公使館は、銀座煉瓦街などの設計で知られるトーマス・ウォータースの設計によるによる赤レンガ作りのもので、1874年12月に竣工したThe Far East, A Monthly Illustrated Journal, Tokyo, January 31, 1875。しかしながらこの初代の建物は、1923年(大正12年)の関東大震災で完全に倒壊した。現在の建物は1929年(昭和4年)に建てられたものである(英国工務省設計)。また、1987年(昭和62年)、新館と呼ばれる二番目のオフィス用建物が完成した。
太平洋戦争の勃発と共に、日英の国交は断絶し、大使館も閉鎖された。終戦直後、大使館は英国海軍の管轄下におかれ軍艦扱いされた。艦名はリターン号(H.M.S.Return)であった。1946年(昭和21年)6月、大使館は「駐日英国連絡公館」として通常の業務に戻り、1952年(昭和27年)4月のサンフランシスコ講和条約の締結により、大使館の名称に戻った「英国大使館の歴史」、英国大使館ホームページより。
関連項目
公使・大使以外の著名な在勤者
- ローレンス・オリファント:書記官。旅行家、神秘主義者。
- ジョン・ニール:生麦事件、薩英戦争時の代理公使。
- アレクサンダー・フォン・シーボルト:通訳。後に明治政府のお雇い外国人。
- アーネスト・サトウ:通訳。後に公使として再来日。日本学者。
- ウィリアム・ウィリス:医師、江戸領事。
- アルジャーノン・ミットフォード:書記官。
- ウィリアム・ジョージ・アストン:通訳、領事、日本学者。
- ジョン・ガビンズ:通訳、領事、日本学者。
- ジョセフ・ヘンリー・ロングフォード:通訳、領事、日本学者。
- ジョージ・サンソム:商務参事官、日本学者。
- フランシス・ピゴット少将:駐在陸軍武官。
- ハイラム・ショウ・ウィルキンソン:通訳、領事裁判官。
参考文献
- 萩原延壽著「遠い崖9 アーネスト・サトウ日記抄」朝日新聞社(2008年)。ISBN 978-4022615510
- ヒュー・コータッツィ編著『歴代の駐日英国大使』、文眞堂(2007年)。ISBN 978-4830945878
脚注
外部リンク