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青柳 勧(あおやぎ かん、1980年8月19日 - )は、京都府出身の水球選手である。愛称は「皇帝」

来歴


小学校3年生の時、京都踏水会で水球をはじめ、京都府立鳥羽高等学校へ進学。1998年には元ユーゴスラビア代表監督であったドラガン=アンドリッジに選ばれ、史上最年少で水球男子日本代表に選出される。その後筑波大学へ進み、大学1年を終えると同時にスペインへ渡ってプロ1部リーグでプレー。1シーズン20得点をマークしてチームに大きく貢献した。2004年、イタリアのプロチーム・ベルガモセリエA)と契約、世界有数のスピードとシュートを武器にセリエA2北の得点王。

その実績が評価され、イタリアのセリエA1四強の一つ『ブレッシア』でプレー。日本人初のチャンピオンズリーグ出場も決めている。

2006年のアジア大会では決勝戦で中国に負けたものの2大会連続の銀メダルに大きく貢献。2007年3月の世界選手権にも出場。

2007-08シーズンより、モンテネグロのブドバでプレー。ブドバはモンテネグロの4強チームで、今シーズンはLENトロフィーにも出場。チーム躍進のキーマンとなっている。

帰国時には、多数のメディアにも出演。

2009年10月からは新潟産業大学で教員を勤めている。(広川俊男学長は筑波大の先輩に当たる)

2010年7月、クラブチーム「ブルボンウォーターポロクラブ柏崎」を発足させ、選手兼任監督に就任。
日本に帰国後は日本代表に復帰。
2012年1月、水球日本代表チーム「ポセイドンジャパン」の主将としてロンドンオリンピック出場権を賭けて、アジア地区予選(兼アジア選手権)に出場したが、出場権は得られなかった。

情報


外部リンク



日本の水球選手
選手兼任監督
京都府出身の人物
1980年生
存命人物



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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