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皇太子徳仁親王妃雅子(こうたいしなるひとしんのうひ まさこ、1963年昭和38年)12月9日 - )は、日本皇族皇太子徳仁親王の妃。旧名・小和田雅子(おわだ まさこ)。身位皇太子妃親王妃皇室典範に定める敬称殿下お印ハマナス勲等勲一等ハーバード大学卒業。学位経済学士(Bachelor of Arts in Economics magna cum laude)。

報道等では「雅子妃」や「皇太子妃・雅子さま」「雅子さま」の呼称が用いられている。宮内庁HP(皇太子妃である現在)では「皇太子妃殿下」と用いられている。宮内庁ホームページ

略歴

生い立ち


  • 1971年(昭和46年)3月、目黒区立原町小学校第1学年に編入して、同年5月に、新宿区立富久小学校第2学年に編入する。

  • 1979年(昭和54年)よりベルモントハイスクールへ通学する。

  • 1981年(昭和56年)、同ハイスクールを卒業する。

独身時代


  • 1986年(昭和61年)、帰国後となる4月に東京大学法学部に外部学士入学するが、同年10月に外務公務員採用I種試験に合格し、外務省入省が決まる。この際、女性初のキャリア官僚 スーパールーキーと話題になる。1986年10月17日号「外交官に「清原級」ルーキー ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠」1986年12月6日 毎日新聞(夕刊)「麗しき外交官の卵」1986年10月6日 日本経済新聞(夕刊)
  • 1987年(昭和62年)に東京大学を中退し、外務省へ入省。経済局国際機関第二課に配属された。

  • 1990年(平成2年)6月に帰国し、7月1日付で北米二課に配属された。

徳仁親王との馴れ初め

1986年(昭和61年)に来日したスペインのエレナ王女の歓迎レセプションに出席した時に徳仁親王と知り合い1993年1月19日 毎日新聞「昨年5月に申し入れ 宮内庁長官、新事実明かす」、研修留学からの帰国後には、皇太子となった皇太子徳仁親王の御妃候補として報道され、大きな話題となった。

徳仁親王との交際に付いては、『鴨場でのデート』が話題になっている。

1992年(平成4年)12月12日に、皇太子徳仁親王からの求婚を受諾する

愛車と流行

当時、雅子妃が所有し運転するトヨタ・カローラIIが報道され、販売台数が爆発的にヒットした。

皇太子妃時代


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  • 1996年(平成8年)5月、米国のニューズウィーク誌が伝統の中で能力を発揮できないという主旨の記事を掲載する1996年5月27日 読売新聞「「雅子妃は伝統の壁の中にこもってしまった」 米誌が特集記事」。同年12月の誕生日記者会見には単独で応じ、以後2002年(平成14年)まで6回、単独会見を開いている。

  • 1999年(平成11年)12月10日朝日新聞が朝刊一面で雅子妃の懐妊の兆候をスクープ報道する1999年12月10日 朝日新聞「雅子さま、懐妊の兆候 近く詳細な検査」。宮内庁および同東宮職は複数回に渡り、過熱報道の自粛を要請した。雅子妃は12月23日天皇誕生日一般参賀には出席したが、その後12月30日稽留流産手術を受けたと発表された。古川清東宮大夫・川口政行東宮侍医長・医師の岡井崇が記者会見を開き、懐妊が早期から大々的に報道され雅子妃に心労を与えたことを批判する一方、海外訪問12月3日~12月7日、ベルギー訪問(フィリップ王太子の結婚式に出席のため)
    なお、滞在中ヒール靴を履いたり等、妊娠を予感させる素振りは見せなかった(週刊朝日 1999年12月24日号)
    との因果関係については否定した1999年12月31日 読売新聞「雅子さま流産 医師らの祈り届かず」。また、過度の報道に対して徳仁親王は遺憾の意を表明した平成12年皇太子徳仁親王の誕生日に際する記者会見にて

  • 2000年(平成12年)2月からは、公務に復帰している。

  • 2001年(平成13年)4月16日に懐妊の可能性が発表された。
    • 同年5月15日に懐妊が正式に発表された。
    • 同年12月1日に第一女子・愛子内親王が誕生。結婚から8年余りでの第一子誕生だった。

  • 2004年(平成16年)5月、徳仁親王が訪欧を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h16gaikoku.html。海外育ちで国際派と見られていた雅子妃と、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間で不和があることをうかがわせた。この発言は人格否定発言と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。

  • 2006年(平成18年)からは、療養中にもかかわらず、今上天皇皇后(いずれも現在)陪席のもと、御所で歴代天皇のご進講を続けている。

  • 2010年(平成22年)3月以降、愛子内親王を気遣って登下校にほぼ毎日付き添うようになり2010年12月9日 読売新聞「雅子さま47歳 体調 着実に快復」、外出の機会は増加した。

公務と体調

2000年(平成12年)7月の香淳皇后の斂葬の儀を欠席や同年8月の佐賀県訪問中止を皮切りに、徐々に体調不良を理由とした公務や祭祀への欠席が目立つようになる。2003年(平成15年)には帯状疱疹のため長期静養し、さらに2004年(平成16年)7月30日に、適応障害で長期間静養している事実が公表された。以後から現在まで、東宮御所における接見を除けば出席する公務は殆ど無く、宮中祭祀も参加していない状態にある宮内庁>皇室のご活動>皇太子同妃両殿下のご日程。唯一、2009年(平成21年)1月2日、「昭和天皇二十年式年祭の儀」中の「皇霊殿の儀」に、今上天皇皇后の名代として夫の徳仁親王とともに拝礼した。これは2003年(平成15年)9月23日以来5年3ヶ月ぶりに、潔斎を経て平安装束を着用しての祭祀出席となった2009年1月7日 読売新聞(東京夕刊)「昭和天皇崩御20年 両陛下、武蔵野陵を拝礼」
2011年(平成23年)、4月より8月まで複数回、岩手県大船渡市などの東日本大震災の被災地慰問を行っている産経ニュース 皇太子ご夫妻が避難所をご訪問

年譜


家系



|-
| rowspan="1" align="center"| 祖母:
江頭寿々子
雅子
父:
小和田恆
外務省事務次官
祖父:
小和田毅夫
高田市教育委員長
祖母:
小和田静
母:
小和田優美子
祖父:
江頭豊
チッソ会長)

発言


  • 「私に対して『皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうに仰ってくださいました」 - 皇室入りを決意させたものについて

1993年(平成5年)1月19日、婚約内定の記者会見にて

  • 「本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」 - 愛子内親王出産の際の気持ちについて

2002年(平成14年)4月2日、愛子内親王誕生の際の記者会見にてhttp://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/ryodenkakaiken-h14.html

脚注

関連項目



外部リンク



日本の皇族
1963年生
存命人物
日本の外交官
帰国子女
東京都出身の人物



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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