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無原罪の御宿りバルトロメ・エステバン・ムリーリョ画。 [[プラド美術館蔵無原罪の御宿り 1618年ディエゴ・ベラスケス
無原罪の御宿りむげんざいのおんやどり、)とは、聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによってフスト・ゴンザレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』244頁、教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353原罪の汚れととがを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』106頁 - 107頁、カトリック中央協議会、ISBN 9784877501068無原罪懐胎(むげんざいかいたい)とも。

1854年に正式に信仰箇条として宣言決定された「無原罪の聖マリア」バチカンのウェブサイト)

カトリック教会における教義


無原罪の御宿りの教義は、「マリアはイエスを宿した時に原罪が潔められた」という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」とするものである。前提として、カトリック教会において原罪の本質は、人がその誕生において超自然の神の恵みが無いことにあるとされる

キリストは原罪を取り除く者であり、マリアはキリストの救いにもっとも完全な形で与った者である。ルカによる福音書1:28にある「おめでとう、恵まれたかた」と天使から聖母マリアが言われたことには、原罪とは逆の状態、すなわち神がともにおられるという恵みが特別にマリアに与えられていることが示されているのであり、マリアが存在の初めから神と一致していることが示されているとされる

こうしたことから、マリアが存在の初めから神と一致し生涯と死を通じて人のいのちの完成に至ったこと、人類に対するキリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れであるとし、そのことを示す二つの教義が無原罪の御宿りと聖母の被昇天であるとされている

歴史


マリアは、古代教父の著書において、2世紀リヨンエイレナイオス、4世紀エルサレムのキュリロスにより第二のエヴァとして、ヒッポアウグスティヌスアンティオキアのアタナシオスにより至潔なるマリアとして崇められてきた(このこと自体はカトリック教会のみならず正教会東方諸教会復古カトリック教会なども認めている)。聖母マリアがその存在のはじめから無原罪であったとは、最初期に9世紀パスカシウス・ラドベルトゥスが唱道しキリスト教大事典 改訂新版』1044頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版、西欧民間においては中世から広く信じられていた。ドゥンス・スコトゥス1266年頃 - 1308年)などのフランシスコ会士は強力に無原罪の教理を擁護し、のちにはイエズス会も擁護側にまわった

他方、中世においてもトマス・アクィナス1225年 - 1274年)をはじめ多くのスコラ学者がこうした聖母の無原罪という教えを否定していた。トマスがこの教えを否定したのは、キリストの普遍的な救済力に傷をつけかねないと感じたからであった。他にも否定側にまわったスコラ学者として、アンセルムスアルベルトゥス・マグヌスボナヴェントゥラなどが挙げられる(現代のカトリック教会においては、こうした否定の論陣についても、当教理の誇張や下品さを排除し、終局的解決を準備したものとして評価されている『カトリック大辞典』(106頁 - 108頁、上智大学編纂、冨山房、昭和42年第七刷))。

無原罪の教えは、1449年9月17日バーゼル公会議において「敬虔で、教会の典礼、カトリック信仰、正しき思考、聖書とも合致するもの」とされた(ただしこのバーゼル公会議は離教的なものであったとカトリック教会から評される)。その後も複数の教皇(シクストゥス4世、ピウス5世、アレクサンデル7世、クレメンス11世ら)が、この教えの賛成派を反対派から守るといった言動をとるなどしている

しかしながらトリエント公会議における「聖にして且つ汚れなき童貞マリアを原罪に関する公会議令に含ましめるを欲せず」との声明が明確な教義としての宣言を含んでいないことにもみられる通り、無原罪の教えが教義として明確に定められたのは19世紀半ばのことである。

おもにスペインなどラテン地域で「無原罪の御宿り」の信心は一般的になっていき、特にイエズス会の擁護が強く1854年12月8日教皇ピウス9世の回勅 Ineffabilis Deus によって、無原罪の御宿りの教義は公認された。このためカトリック教会では12月8日が無原罪の御宿りの祝日となっている。

ピウス9世による回勅について、カトリック教会では、諸司教が事前に同意を表明した上で教理宣示がなされており、内容的には全教会教導職の決定と同一視される、自然的な帰結であると評価されている。しかしながらカトリック教会外からは、本教義につき、教会史上初の、公会議の同意を受けないで一人の教皇が自分の権威に基づいて定義した教義であるとされることがある

認めない教派による否定


正教会復古カトリック教会、およびプロテスタント諸教派は、無原罪の御宿りの教義を否定する。以下にあげる内容に加え、もしマリアが生まれながらに罪が無かったのであればイエスを生んだ時に犠牲を捧げたのはおかしいと主張する者も多い。律法では出産した8日後に動物の犠牲を捧げる事を義務としていた。理由は、罪を持った女性(罪の無い人間はいないので、事実上は人類は全ての女性)が罪を持った子を出産した事を思い出させる為に、犠牲を捧げる事となっていた。マリアは、上述の通り出産8日後に動物の犠牲を捧げた事が聖書に記録されている。マリアが犠牲を捧げたという事は、マリアは生まれながらに罪の無い人間ではない事の明白な証拠だという事になる。

正教会


正教会では、生神女マリヤ(正教会での表記)は「至聖」なるものとして崇敬されるが、マリヤもまた元祖アダムの罪を免れず、「ヘルヴィムより尊くセラフィムに並びなく栄え」とされる光栄が得られたのは、神の子イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)を受孕(みごもり)生んだ後であると捉えられている「正教会とローマ・カトリック教会の相違」長司祭長屋房夫によるウェブサイト)の13頁、14頁にある「生神女の無原罪懐胎について」。正教会においては、聖母の無原罪懐胎説は19世紀に至るまでカトリック教会内においても正式に教義決定されてはおらず、論争すらあった点を踏まえ、本説は新しく出て来たものであり、異端的な考え方であるとして否定している

正教会においては、生神女マリヤが、旧約新約の間にはじめて橋をかけ、ハリストス(キリスト)以前の人々の聖性の全てが生神女マリヤの中に統合されたとされる。ルカ1:38におけるマリヤの同意において、旧約の聖なる人々全てが彼女とともに主の藉身に同意を与えたと解される府主教カリストス・ウェア著、司祭ダヴィド水口優明・司祭ゲオルギイ松島雄一訳『カリストス・ウェア主教論集1 私たちはどのように救われるのか』17頁 - 18頁、日本ハリストス正教会 西日本主教区

しかしもしカトリック教会の説く無原罪懐胎説によってしまえば、(原罪の結果の下に服していたが聖なる人々であったと正教会において捉えられる)旧約時代の義人たちとマリヤとの間にある重要なつながりが、(「原罪の無いマリヤ」と「原罪の結果の下にある旧約の義人」という非対称的な関係となることによって)弱められてしまうと正教会からは指摘される(そもそも「旧約時代の義人達」の聖性を強調するのが、西方教会には無い正教会の特色のひとつである)

また加えて、原罪の結果に対するアウグスティヌスの考え方に同意しない正教会において、無原罪懐胎の教理は、「誤り」であるというよりも、むしろ「不要」なものであると評される

復古カトリック教会


第1バチカン公会議における教皇不可謬説に反対して分裂した復古カトリック教会は、8世紀以前のものに認める聖伝を限定する。従って聖母マリアの無原罪懐胎も認めない『キリスト教大事典 改訂新版』911頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版。のみならず、ローマ教会の伝承、教皇首位、教皇不可謬、司祭の独身制を認めず、免償聖人崇敬、巡礼も否定しているほか、聖日の聖体拝領、断食を義務付けない。聖書を読む事を推奨し、典礼も各国語によるものを認めた

プロテスタント


そもそも殆どのプロテスタントには、(一部例外を除き)神の母マリアを崇敬するという概念そのものが無い『キリスト教大事典 改訂新版』911頁 - 912頁, 1044頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版

脚注

関連項目


外部リンク



キリスト教神学
聖母マリア
むけんさいのおんやとり



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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