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浄瑠璃(じょうるり)は、三味線伴奏楽器として太夫詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲である。

詞章が単なるではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的である。

代表的な流派には、義太夫節常磐津節清元節などがある。このうち、義太夫節にのせた操り人形で物語を語る伝統芸能が人形浄瑠璃(文楽)である。

なお地方によっては、単に「浄瑠璃」というと、その最も代表的な流派である義太夫節のことを指す場合がある。そのせいもあってか、「浄瑠璃とは義太夫節のことである」といった説明がなされることもあるが、これは明らかな誤りである。

歴史

起源



その起源は、中世末期ごろの御伽草子の一種『浄瑠璃十二段草子』(『浄瑠璃物語』。浄瑠璃御前と牛若丸の情話に薬師如来など霊験譚をまじえたもの)を語っての功徳を説いた芸能者にあるとするのが通説であり、「浄瑠璃」の名もここから生まれたものである。その内容はだいたいにおいて享禄年間(1528–32年)には完成していたと考えられる。最初期は平曲謡曲説経節などの節付けに学んで扇拍子を伴奏にしたようだが、永禄年間(1558–1570年)に琉球から三線が渡来し、これが三味線へと発達するにしたがって飛躍的な成熟を遂げることになる。三味線をいち早く音曲に取入れたのは上方盲人であったが(上方地歌)、文禄年間(1593–1596年)にいたってこれが傀儡子くぐつしもしくはかいらいし)の伴奏として用いられるようになり、さらにこれと浄瑠璃節が合体することによって、現在にまでいたる浄瑠璃音曲が完成してゆく。

古浄瑠璃


浄瑠璃が本格的な芸術性を備えるようになるのは江戸期に入ってからである。杉山丹後掾と薩摩浄雲によって京から江戸へともたらされた浄瑠璃は、彼らの門下によって多くの流派にわかれ、世人に大いに受入れられるようになった。杉山丹後の門下からは江戸半太夫(半太夫節)、十寸見河東(河東節)が、薩摩浄雲の門下からは薩摩外記太夫(外記節)、大薩摩主膳太夫(大薩摩節)、都太夫一中(一中節)、竹本筑後掾(義太夫節)などを輩出し、浄瑠璃の歴史の上で一時期を画することとなった(半太夫節と外記節は河東節に、大薩摩節は長唄に吸収されて残っている)。以上のうち義太夫節を除くものを一括して古浄瑠璃(こ じょうるり)と呼ぶ。この時期の詞章・戯曲は未発達なものが多く、かならずしも高い評価を与えることはできない。ただし、江戸を中心にして発達した「金平浄瑠璃」と呼ばれる一連の作品は、後に歌舞伎荒事に大きな影響を与えることになった。

義太夫節の完成


貞享元年(1684年)ごろ、竹本義太夫(後に筑後掾)が道頓堀竹本座を開設して義太夫節を樹ててよりのちは、浄瑠璃に新たな時代が訪れる。名作者近松門左衛門と結ぶことによって、戯曲の文学的な成熟と詞章の洗練が行われ、義太夫節と人形浄瑠璃は充分に芸術としての鑑賞に耐えうるものとなった。この新しい様式は上方の人士から熱狂的な支持を受け、義太夫節はそれ以前の古浄瑠璃を圧倒することになる。たとえば古浄瑠璃時代にはその人の名を付して何某節と呼ばれていたように、浄瑠璃の流派は多分に個性的な名人芸の代名詞として行われ、決してそれがひとつの様式として後代に受け継がれる性格のものではなかったが、義太夫節にいたってはそのあまりに完璧な内容のために、「義太夫節」という流儀名が竹本義太夫死後もひとつの様式の名前として用いられつづけることになったのは、その象徴的な事例であろう。義太夫節の特徴は「歌う」要素を極端に排して、「語り」における叙事性と重厚さを極限まで追求したところにある。太夫と三味線によって作りあげられる間の緊迫、言葉や音づかいに対する意識、一曲のドラマツルギーを「語り」によって立体的に描きあげる構成力、そのいずれをとっても義太夫こそは浄瑠璃におけるひとつの完成形であるというにふさわしい。

豊後節の登場


一方、このころ竹本義太夫と同門の都太夫一中は京で一中節を創始し、その弟子宮古路豊後掾がさらに豊後節へと改めて、享保19年(1734年)これを江戸へもたらした。豊後節の特徴は義太夫節の豪壮な性格とは対照的に、一中節の上品な性格を生かしたやわらかで艶っぽい語り口にあり、江戸において歌舞伎の劇付随音楽として用いられたためにまたたくまに大流行を見た。その人気は、心中ものの芝居にさかんに用いられたために江戸で心中が横行し、風俗紊乱を理由に豊後節の禁止が布告され、豊後掾が江戸を去らねばならなくなったほどであった(ただし、この豊後節禁止は河東節をはじめとする江戸浄瑠璃側の嫌がらせという説もある)。しかし、この宮古路豊後掾に師事した常磐津文字太夫と富士松薩摩掾が数年後それぞれ常磐津節富士松節を創始するにいたって、豊後節の伝統は江戸に根付き、それ以前の古浄瑠璃の人気を奪いさってゆく。常磐津節は歌舞伎の伴奏用浄瑠璃として盛んに用いられ、豊後節のやわらかさと江戸古浄瑠璃の豪壮さを取混ぜた独特の風情を持っており、江戸らしい気風のよさを感じることができる。一方、富士松節からは鶴賀若狭掾、鶴賀新内という名人が輩出し、特に鶴賀新内は新内節を創始することにより、豊後節系浄瑠璃の新たな局面を開くことになる。新内節は一時期、歌舞伎にも用いられたことがあるが、江戸時代後期からは主として門付けを中心として行われ、豊後節の艶麗な部分を引継いで情緒纏綿たる世界をつくりあげてゆくのである。

以上の豊後節、およびそこから派生した豊後節系浄瑠璃の特徴は、第一に歌舞伎芝居、門付けの違いはあるにしろ操り人形から離れ、浄瑠璃の音楽性が独立したこと、第二に程度の差はあるが「語り」の性格が「歌」の要素によってよわめられ、やわらかさ、艶麗さの方向に発達していったことにある。なお、付記しておくと、以上のほか宮古路豊後掾の流れを汲む浄瑠璃には宮薗節(豊後掾門弟宮古路薗八創始)がある。

清元節の発達


さて、このような豊後節系浄瑠璃の展開は江戸中期以降にいたって新たな局面を見せる。常磐津文字太夫の門弟、富本豊前掾が一派を立てて「富本節」を称し、さらに二代目富本豊前太夫の門下から清元延寿太夫による清元節が生れる(文化11年、1814年)。これらはいずれも常磐津節の艶麗な芸風をさらにつよめた流儀で、むろん歌舞伎の劇付随音楽としても用いられたが、それだけにとどまらず、素人の習事、座敷音曲としての性格をも備えるようになってゆく。通常豊後節から見て、子、孫、曾孫になる常磐津、富本、清元を「豊後三流」と称し、それぞれに微妙な性格の違いがある。常磐津は艶麗さの反面、古い江戸浄瑠璃の名残を引いて豪壮な部分があり、歯切れのいい語り口をも兼備えている。それに対して、富本と長唄の混交から生れた清元には豪壮さがまったくなく、高音を多用した繊細で情緒的な浄瑠璃になっており、「語り」よりも「歌」の要素がきわめてつよい。常磐津には素朴で豪放な部分があり、清元にはそれを洗練させすぎたゆえの美しさともろさがある。そして富本は両者の中間的な形態として当初は絶大な人気を集めたが、現在ではほぼ滅亡寸前であるといっていい。艶麗さと古雅な味いを共存させ、寂びた風情には捨てがたいものがあるが、惜しむらくは常磐津と清元のあいだにあって独自性が発揮できなかったために、歴史の流れに打ち克つことができなかったのである。

現状


現在、浄瑠璃音楽として残っているものは、義太夫節丸本歌舞伎専用の義太夫を特に「竹本(チョボ)」と呼ぶことがある)、常磐津節清元節、それに河東節、一中節、宮薗節(河東節、一中節、宮薗節に上方地歌の系統を引く荻江節を加えた4種を「古曲」と総称する)、新内節富本節の8種である。このほか半太夫節と外記節が河東節に、大薩摩節が長唄に、豊後節から分かれた繁太夫節地歌に、それぞれ吸収されて特殊な一部分として残存している。

浄瑠璃概念図


以下に浄瑠璃に関連する事物について上位概念から下位概念にかけての関係図を示す。


邦楽種別 浄瑠璃
      │
      ├───────────┬────┬──・・・(他多数)
      │           │    │
流派   義太夫節        常磐津節 清元節
      │           │    │
      ├──────┐   (1)  (1)に同じ
      │      │
上演形態 人形浄瑠璃  素浄瑠璃(操り人形無しでの上演)
      │                
      ├──┬────┬──・・・(他多数)
      │  │    │
上演団体 文楽 結城座 淡路人形座

     (1)      
      │       
      ├──────┐
      │      │
上演形態 歌舞伎舞踊  素浄瑠璃(踊り手無しでの上演)
      │             
      ├──────┬─────┐
      │      │     │
上演団体 松竹大歌舞伎 前進座 日本舞踊各流派

本図は概念図であって、全てを網羅してはいない。また、注意点は以下の通り。

  • 義太夫節は歌舞伎舞踊・歌舞伎狂言にも用いられる。
  • 図上で省略した流派が、全て(1)の上演形態とは限らない。素浄瑠璃が主体の流派(新内節等)もある。
  • (1)の上演団体には他に、国立劇場歌舞伎公演がある。

参考文献


関連項目



日本の伝統音楽
*
三味線
口承



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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