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水色が枢軸国の最大勢力範囲、緑色が連合国、黄色が中立国。
枢軸国(すうじくこく、、、)とは、第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国を指す言葉。ドイツ、日本、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイなどソビエトを脅威と捉えていた反共主義国家が多く、連合国が承認していない国家としては自由インド仮政府、フィリピン第二共和国、ビルマ国、独立スロバキア、クロアチア独立国、満洲国、中華民国南京政府などがある。
前史
アドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツと、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王の元、ベニート・ムッソリーニ率いるファシズム体制下のイタリア王国はどちらも類似した権威主義的体制であり、思想的に近いものがあった。しかし両国の関係は必ずしも良好ではなく、オーストリア・ナチス党主導によるオーストリアのドルフース首相の暗殺事件が起きると、両国の間には緊張状態が生まれた。
ベルリン・ローマ枢軸
1935年、イタリア王国がエチオピアに侵攻(第二次エチオピア戦争)すると、イタリア王国は国際社会から激しく非難された。オーストリアの合邦(アンシュルス)のためにイタリアとの両国関係改善を望んでいたヒトラーは、この期に両国の関係を改善しようと動き出した。1936年9月、ドイツは法相ハンス・フランクをイタリアに派遣し、ベニート・ムッソリーニ首相の訪独を要請した。しかしムッソリーニは外相ガレアッツォ・チャーノを訪独させると発言したにとどまり、自身の訪独は明言しなかった。10月にチャーノ外相は訪独し、ヒトラーと会談した。この会談ではいくつかの合意が行われたが、条約や協定が結ばれたわけではなく、特に重要な関係が成立したわけではなかった。しかしチャーノが帰国すると、ムッソリーニは次のような声明を出した。
この後、「ローマ・ベルリン枢軸」という言葉は両国の関係を表す言葉として世界に浸透した。この発言をヒトラーは、実態のない合意を大げさに見せるムッソリーニのパフォーマンスと見ていた。翌1937年9月にはムッソリーニの訪独が行われ、両国の協調関係が強まるにつれ、枢軸の語は広く使われるようになった。
1938年3月のオーストリアの併合後、5月にヒトラーはイタリアを訪問した。すでにドイツの優勢は明らかであり、各国新聞の呼称も「ベルリン・ローマ枢軸」と改められた。1939年5月には条約が結ばれ、両国の協力関係は軍事同盟に発展した。この条約は通称『鋼鉄条約』(en)と呼ばれる。
第二次世界大戦
第二次世界大戦における枢軸国は連合国と戦闘した国であるが、枢軸国全体で統合された戦争指導は最後まで行われなかった。このためドイツの対ソ開戦や日本の対米開戦は事前に通知されておらず、交戦相手も統一されていないなど、枢軸国の足並みはそろわなかった。
1939年
1939年に勃発したポーランド侵攻に参加した枢軸国はドイツとその影響下に独立した独立スロバキアのみであった。
1940年
1940年に行われたドイツによるフランス進攻が成功すると、イタリアと、前年にイタリアの侵攻を受けて同君連合を形成していたアルバニア王国も枢軸国に加わり、連合国に宣戦布告した。8月16日に行われた第二次ウィーン裁定によって、ドイツはルーマニア王国への駐屯権を獲得し、ルーマニアを枢軸国の影響下においた。9月には日独伊三国条約(以降、『枢軸条約』と表記)が結ばれた。ただし、この時点ではこの条約に加入することは枢軸国として参戦することと同じではなかった。11月にはハンガリー王国、ルーマニアが『枢軸条約』に加入した。
1941年
1941年3月1日、ドイツ軍はブルガリア王国に進駐して『枢軸条約』に参加させた。3月25日、ユーゴスラビア王国も『枢軸条約』に参加したが、2日後の3月27日にはクーデターが発生した。ユーゴスラビア新政府はドイツとの協調関係を維持すると声明したが、ヒトラーは許さずユーゴスラビア侵攻に踏み切った。戦後、ユーゴスラビアはハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、そして独立したクロアチア独立国とセルビア救国政府、モンテネグロ王国によって占領された。6月22日、ドイツはソビエト連邦に宣戦布告し、独ソ戦が始まった。ハンガリー、ルーマニア、クロアチアもソ連に宣戦布告し、さらに冬戦争でソ連の侵略をうけたフィンランドもソ連に宣戦布告し、枢軸国に加わった。
12月8日、日本は真珠湾攻撃を行い、アメリカ合衆国・イギリス・オランダに宣戦布告した。12月11日、ドイツもアメリカに宣戦布告し、他の条約参加国も追随した。しかし日本はソ連に宣戦することはなかった(日本はソ連との間に日ソ中立条約を結んでいた)。日中戦争で日本と交戦中であった中華民国は日本とドイツ、イタリアに対して正式に宣戦布告を行い、連合国に加入した。12月11日には日独伊単独不講和協定が結ばれ、枢軸国陣営が成立した。また同日、日本とタイ王国の間で日泰攻守同盟条約が結ばれた。
1942年
1月8日、条約締結に反応したイギリス軍とアメリカ軍がタイに対して攻撃を行った。このため1月25日にタイ王国はアメリカ・イギリスに対して宣戦布告した。11月21日、北アフリカの植民地を失ったヴィシー政権に業を煮やしたドイツは、フランス全土を占領した。
1943年
7月24日、イタリア王国でクーデターが発生した。ムッソリーニは逮捕・監禁されたがドイツによって救出された。9月8日、イタリア王国は連合国に降伏したが、9月23日にはドイツによってムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国が成立し、枢軸国として戦闘を続けた。またアルバニアはドイツの占領下に置かれ、ドイツ主導による傀儡政権の統治下に置かれた。10月3日、イタリア王国はドイツに宣戦布告した。10月21日、日本の支援の下自由インド仮政府が成立した。自由インド仮政府軍はインドの宗主国であるイギリスに対して戦闘を行った。11月16日、大東亜会議において大東亜共同宣言が宣言された。この宣言は「大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ」とあるように、日本と同盟しアメリカ・イギリスと戦うという内容であった。この際、日本は会議参加国に対して米英への宣戦布告を要求した。ビルマはイギリス・アメリカに宣戦布告したものの、フィリピン第二共和国は宣戦を拒絶した。
1944年
この年の後半になると東部戦線は崩壊し始めた。8月24日、ルーマニアはクーデターによって連合国側につき、ドイツに対して宣戦布告を行った。9月9日にはブルガリアでもクーデターが発生し、連合国側について枢軸国に宣戦した。9月19日、継続戦争を戦っていたフィンランドはソ連と休戦条約を結んだ。その後フィンランドは駐留ドイツ軍と交戦した(ラップランド戦争)。10月15日にはハンガリーも対ソ休戦を発表しようとしたが、ドイツ軍のクーデターによって親独派の矢十字党政権のハンガリー国が成立し、枢軸国側に留まった。西部戦線でも8月26日にパリが連合軍によって奪回されるなど、ヴィシー政権とドイツのフランス支配は終焉した。
1945年
3月、大日本帝国は支配下に置いていた仏領インドシナからベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国を独立させ、傀儡政権を樹立した。しかしヨーロッパは完全に連合国側の手に落ち、欧州の枢軸国は次々と脱落・消滅していった。4月25日にはイタリア社会共和国が降伏し、5月8日にはドイツが降伏し、9月2日には大日本帝国も降伏し、枢軸国陣営はここに消滅した。
枢軸国の一覧
ファイル:Flag_of_Nazi_Germany_(1933-1945).svg|ドイツ
(1939年-1945年)
ファイル:Merchant flag of Japan (1870).svg|大日本帝国
(1940年-1945年)
ファイル:Flag of Italy (1861-1946).svg|イタリア王国
(1940年-1943年)
ファイル:Flag of Hungary 1940.svg|ハンガリー王国
(1941年-1944年)
ファイル:Flag_of_Romania.svg|ルーマニア王国
(1941年-1944年)
ファイル:Flag of Finland.svg|フィンランド共和国
(1941年-1944年)
ファイル:Flag of Bulgaria.svg|ブルガリア王国
(1941年-1944年)
ファイル:Flag of Thailand.svg|タイ王国
(1942年-1945年)
ファイル:Flag of First Slovak Republic 1939-1945.svg|独立スロバキア
(1939年-1945年)
ファイル:Flag of Albania (1939).svg|アルバニア王国(イタリア支配下)
(1940年-1943年)
ファイル:War flag of RSI.svg|イタリア社会共和国
(1943年-1945年)
ファイル:Flag of German occupied Albania.svg|アルバニア王国(ドイツ支配下)
(1943年-1944年)
ファイル:Flag of Croatia Ustasa.svg|クロアチア独立国
(1941年-1945年)
ファイル:1931 Flag of India.svg|自由インド仮政府
(1943年-1945年)
ファイル:Flag of Burma 1943.svg|ビルマ国
(1943年-1945年)
ファイル:Flag of Hungary 1940.svg|ハンガリー国
(1944年-1945年)
宣戦布告は行っていないが枢軸国の影響下にあった国・組織
ファイル:Flag of the Mengjiang.svg|蒙古聯合自治政府
ファイル:Flag of the Republic of China-Nanjing.png|中華民国南京国民政府
ファイル:Flag of Manchukuo.svg|満州国
ファイル:Philippines Flag Original.svg|フィリピン第二共和国
ファイル:Old Flag Of Vietnam.svg|ベトナム帝国
ファイル:Flag of Cambodia under Japanese occupation.svg|カンボジア王国
ファイル:Flag of Laos (1952-1975).svg|ラオス王国
ファイル:Flag of Greece (1828-1978).svg|ギリシャ国
ファイル:Flag of the Principality of Pindus and Voivodship of Macedonia.svg|ピンドス公国・マケドニア公国
ファイル:Flag of serbia 1941 1944 vectorised.svg|セルビア救国政府
ファイル:Flag of Montenegro (1941-1944).svg|モンテネグロ王国(イタリア支配下)
ファイル:VichyFlag.svg|フランス国
ファイル:Naval Ensign of Russia.svg|ロシア諸民族解放委員会
宣戦布告は行っていないが枢軸国側に義勇兵を送った国
ファイル:Flag of Spain 1945 1977.svg|スペイン国
枢軸国の占領下にあったが、枢軸国とみなされない国
ファイル:Flag of Denmark.svg|デンマーク王国
(1940年~1945年ドイツの占領下)
ファイル:Flag of Norway.svg|ノルウェー王国ヴィドクン・クヴィスリング政権下
(1940年~1945年ドイツの占領下)
備考
- スペイン(フランコ政権)は、防共協定に参加したが、アンダイユ会談でヒトラーの参戦要請を断り、第二次世界大戦では中立国であった。ただしスペインは東部戦線に青師団と呼ばれる義勇兵部隊を送り込んだり、情報提供でドイツに協力する(ミンスミート作戦を参照)など、枢軸国に協力的な行動をとっている。またスペイン共和国亡命政府側のスペイン人退役兵が義勇兵としてフランス外人部隊に参加している。
- ベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国は終戦間際の1945年、仏領インドシナから日本が独立させたが、終戦後にラオスとカンボジアはフランスの保護国に戻った。ベトナムはベトナム八月革命で帝政が崩壊し、後に第一次インドシナ戦争により南北分断した。
- 日本によって建国された満州国は英米に対する宣戦布告を行っていないが、独立国と承認していない連合国による攻撃を受けた。
- デンマークの同君連合国家であり、事実上のデンマーク領であったアイスランド王国は、1941年5月にイギリス軍によって占領された(アイスランド侵攻)。その後アメリカ軍が進駐し、1944年にアイスランド共和国として独立を果たした。またグリーンランドはデンマークの駐米大使ヘンリク・カウフマンとアメリカの間で協定が結ばれ、大戦中を通じてアメリカ軍が進駐していた。
- イラクでは1941年に親枢軸派のラシード・アリー・アル=ガイラーニーが軍事クーデターで首相となり、ドイツ・イタリアに接近していたが、それが原因となってイギリス・イラク戦争が勃発し、親枢軸政権は崩壊している。詳細はイラク王国の項参照。
- イランも中立を宣言していたが、皇帝レザー・パフラヴィーは親独派であり、その態度は枢軸国寄りであった。そのため、イランが枢軸国陣営に加わることを恐れて、イギリスとソヴィエトはイランに軍を派遣して軍事介入し、レザー・パフラヴィーを退位、国外亡命させた。
- アルゼンチンも中立ではあったものの、実権を握っていたフアン・ペロン中佐の下枢軸国に好意的な立場・政策をとっていた。しかし1945年になって連合国側として参戦している。
戦後における枢軸国
連合国軍の占領下に置かれ、連合国による内政の指導を受けた。また主立った枢軸国は戦後の国際連合の敵国条項で『旧敵国』として指定され、国連の原加盟国になることが出来なかった。日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当するとされている1990年6月11日の衆議院安全保障特別委員会における赤尾信敏外務省国際連合局長の答弁。タイは自由タイ抗日運動などの活動が認められ、敵国とはならなかった。また、連合国の植民地や枢軸国の占領地に成立した国の独立は認められず、敵国扱いを受けていない。
脚注
関連項目
- ファシズム
- 連合国 (第二次世界大戦)
- 日独伊三国軍事同盟
- 日独伊三国防共協定
- 日独防共協定
- ウィーン裁定#第二次ウィーン裁定
- 敵国条項
- 中央同盟国(第一次世界大戦)
- 悪の枢軸発言
- インド国民軍
- ロシア解放軍
- 自由ウクライナ