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東京物語』(とうきょうものがたり)は、小津安二郎監督、笠智衆主演の1953年制作の日本映画。1953年11月3日松竹の配給で公開された。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。

イギリスの権威ある月刊映画専門誌『Sight & Sound』2002年版の「CRITICS' TOP TEN POLL」では、年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繫がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品、と寸評を出している。

あらすじ


1953年の夏、尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に旅行に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。両親の世話に困った幸一と志げは、2人を熱海の旅館に宿泊させる。しかし、その旅館は安価な若者向きの旅館で、2人は騒々しさになかなか眠れない。翌日、熱海から早々に帰って来た2人に対し、志げはいい顔をしない。居づらくなった2人は志げの家を後にする。周吉は在京の旧友と久方振りに再会して酒を酌み交わし、とみは紀子の家に泊まる。ここでとみは、戦死した夫を忘れて再婚するよう、紀子に強く勧めるのだった。周吉は旧友に本音をぶちまけるほど泥酔する。深夜、泥酔状態のところをお巡りさんに保護されて、志げの家に帰ってきてしまう。そこで志げ夫婦の顰蹙を買う。

2人は、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったが、それでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。幸一と志げは悲しみつつも、間もなくさばさばした乾いた表情を見せる。

とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に、とみの形見の品をよこすよう催促する。そして志げは、とみよりも周吉が先に死ぬのが望ましかったと主張し、幸一もそれに同調する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は歳を取れば誰でも自分の生活が一番大切になるものだといって義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。

紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。そして紀子に再婚を勧める。ここで紀子は初めて、自分の苦悩を吐露する。独身を通す自分の将来の不安がぬぐえないことを打ち明け、涙を流す孤独な紀子に、周吉は妻の形見の時計を与える。

登場人物


東京物語

  • 平山 周吉(ひらやま しゅうきち) - 尾道市在住の72歳の老人。
  • 平山 とみ - 周吉の妻。68歳。
  • 平山 紀子(- のりこ) - 周吉の次男の昌二の未亡人。会社員。昌二は第二次大戦で戦死した。
  • 平山 京子(- きょうこ) - 周吉の次女。小学校の教諭。両親と同居している。
  • 金子 志げ(かねこ しげ) - 周吉の長女。美容師。東京で美容院を経営する。
  • 平山 幸一(- こういち) - 周吉の長男。内科医。東京で内科医院を経営する。

主題および演出


年老いた両親の一世一代の東京旅行を通じて、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。今日の核家族化と高齢化社会の問題を先取りしていたともいえる。小津映画の集大成とも言える作品で、国際的にも非常に有名な日本映画であり、各国で選定される世界映画ベストテンでも上位に入る常連作品の一つである。

戦前は映画で軍人の妻を演じることが多かった原節子が、戦争で夫を亡くした未亡人を演じている。

ローポジションを多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が幻想でしかない悲し過ぎる現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづる。

出演者


評価


BBC「21世紀に残したい映画100本」に、『西鶴一代女』(溝口健二監督、1952年)、『椿三十郎』(黒澤明監督、1962年)、『』(黒澤明監督、1985年)、『ソナチネ』(北野武監督、1993年)などと共に選出された。本作品は、ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。

フィルム


本作品のオリジナル・ネガは、1960年7月24日に横浜シネマ現像所(現・ヨコシネ ディー アイ エー)フィルム貯蔵庫で発生した火災により失われた。現在利用されているのは16ミリのデュープ・ネガから複製したもので、この時代の作品としては画質が悪い。製作会社の松竹は、2003年2011年の2回にわたってデジタル・リマスターによる修復・リプリントを行った。2003年版は、小津安二郎生誕100年記念事業の一環として、劇場公開やDVD化のためにデジタル修復が施された。

2011年版は、NHK BSプレミアムで2011年から2012年にかけて企画された『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』での放送のために、NHKが松竹に全面協力し、実際の修復作業はIMAGICAにより行われた。撮影助手を務めた川又昻が製作時のプリント状態を知る数少ない当事者として助言し、通常のデジタル修復に加えて画質の明暗の再調整、手作業によるプリントやサウンドトラックのノイズ修正など、きめ細かな修復が行われた。この作業の様子は、2011年4月04日にBSプレミアムで放送されたドキュメンタリー『デジタル・リマスターでよみがえる名作「“東京物語”復活への情熱」』において取り上げられた。

その他


文芸評論家・川本三郎の説では、小津は映画製作前後に永井荷風の日記『断腸亭日乗』を読んでおり、本作品の舞台設定に荷風の日記の影響が見られるとある。当初、三男のキャスティングは、小津と公私ともに親交があった佐田啓二を予定していた。しかしスケジュールが合わず、大坂が演じることになった。大坂の役は大阪国鉄職員であるが、台詞に出身地の秋田訛りが抜けず、リハーサルを何度も繰り返したという。ついに『俺は、大坂志郎だから大阪弁が得意だろうと思ってお前をつかったんだ。それなら山形志郎と改名しろ』と小津に激怒され、大坂は号泣したという(『東京物語』DVDでの、斉藤武市の証言より、「秋田」ではなく「山形」であるのは発言そのまま)。

オマージュ


リメイク

テレビドラマ


舞台作品


  • 東京物語 - 2012年1月2日 - 1月24日、三越劇場
  • :山田洋次の脚本・演出により、劇団新派が初春新派公演として上演した。山田洋次監督50周年プロジェクトとして、映画『東京家族』とともに企画された。舞台化にあたり時代設定、基本的な物語の流れや台詞などの変更は施されていないが、場所設定を終始長男の家に限定している。そのことにより、熱海や紀子の部屋、飲み屋などの場面は台詞として語られ、観客の想像を膨らませた。また、紀子の出身地を石巻にするなど、東日本大震災を想起させる箇所がいくつかあり、昭和28年という戦災後の日本と震災後の日本を重ね合わせた表現で現代を映す、山田洋次の想いが込められた作品となっている。劇団新派が山田洋次と組んだ新作は、2010年1月の『麥秋』以来2度目である。
  • :出演は水谷八重子(とみ)、安井昌二(周吉)、瀬戸摩純(紀子)、英太郎(飲み屋の女将加代)、波乃久里子(志げ)など。

外部リンク



日本の映画作品
1953年の映画
小津安二郎の監督映画
東京を舞台とした作品
尾道市の歴史
尾道市を舞台とした作品
1967年のテレビドラマ
1971年のテレビドラマ
銀河テレビ小説
1982年のテレビドラマ
TBSのスペシャルドラマ
1989年のテレビドラマ
フジテレビのスペシャルドラマ
2002年のテレビドラマ



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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