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フランス国王ルイ14世
君主(くんしゅ)とは、一般に、世襲その他血統を背景とする権威により、主権国家を継承し、統治する臣民の畏敬の対象となる地位にある者をいう。
概要
この概念は歴史的なもので、皇帝・王・大公・公などの特定の称号、地位、呼称で呼ばれる。対外的に国家の主権を表し、国内統治の重要な部分(少なくとも行政権)を掌握し、国家や政府の象徴的存在であるとされる。歴史的には古代神権政や近世絶対君主制をピークとして君主の権力は強大であった。その権力は市民革命を経て徐々に制限され、立憲(制限)君主に移行していった。さらに権力の執行機関から名誉職的な(象徴)君主に移行している。君主の地位の継承方法によって、世襲君主と選挙君主に分かれる。 地位は世襲によって継承されることが多い。だが、かつてのモンゴルにおけるクリルタイやポーランド・リトアニア連合王国や神聖ローマ帝国(正確にはドイツ王国)のように選挙によって君主が選出される選挙王制の場合、現代のアンドラのように2人以上の人物を共同君主とする場合、マレーシアのように州ごとの世襲君主(スルターン)が交代で5年任期の連邦国家の君主となる場合など、世襲以外の継承も必ずしも珍しくない。ローマ帝国の皇帝は養子縁組を行うことで世襲を擬制したが、各皇帝の多くは必ずしも血縁関係にはなかった。
君主が地位を継承することを即位と呼ぶ。即位の際には儀礼的な儀式を行なうことが多く、即位の礼や戴冠式などが代表的なものであるが、戦乱や経済的な困窮などを理由に行なわれなかったこともあり、儀式の存在が必ずしも君主の地位の必要条件ということはない。
日本語の民主主義の民主とは君主の対義語として作られた語である。大正期に、吉野作造らによって唱えられた「民本主義」は、実質民主主義そのものであった。だが、民主主義と君主の存在は直接的に関係せず両立し得ると考える吉野は、「民主」という言葉が「君主(天皇)」を否定するものと捉えられることで、その本質を外れた無用の批判が生じることを避けるため、「民本」と言い換えた。
君主の統治
君主が統治する政体を君主制という。君主制をとる国を君主国といったり、君主の称号に応じて帝国(皇帝、女帝、天皇の場合)、王国(国王、女王の場合)、公国(公、女公の場合)などという。君主が絶対的な権力を持っている政体は絶対君主制という。立憲主義に基づく憲法、つまり、最高法規としての憲法という名称に加え、最低限、人権保障(日本国憲法においては人権規定「第3章国民の権利と義務」)、権力分立(同じく第4章以下の統治機構)、法の支配(憲法81条の違憲審査権、同31条の適正手続)を制度として備える最高法規によって君主の権力が制限される政体を立憲君主制という。ここで、注意すべきなのは、「統治する主体」が君主であるなら「統治される客体」は、その両者の関係から国民ではなく「臣民」となる点である。「国民」というなら、それは同時に「統治する主体」でなくてはならない(そこから、民主主義の大原則「治者と被治者の自同性」も導かれる)。事実、英国では英国籍所持者は「臣民(英文で"subject")」と表記される。一方、日本国憲法の英語の草案では「"people"(人民)」となっており、日本国憲法が天皇を君主であるとは考えていない根拠と主張する者もいる。しかし、民主政が深化した現在の英国においては、一般的、俗的にsubject(臣民)ではなく、citizen(共和制、民主制国家における市民)が使われており、subjectの使用が君主制の必要条件とされているわけではない。なお日本政府の公式見解では天皇は「立憲君主制と言っても差し支えないであろう」としている。
君主の継承
君主の多くは世襲で継承され、同一家系から君主が連なるときにその連続体を王朝と呼ぶ。王朝は時として実力行使(易姓革命など)や他家への継承によって交代する。世襲によらない君主制もある。君主権は、起源において、臣下の承認によって成立したものである。だから、当初は君主が自由に処分できるものではなかった。その承認は(少なくとも支配集団の)共同の利益を実現する職能に対して与えられた。だから、無能な人物を血縁上の順位を理由に君主にする必然性もなかった。ローマ皇帝は、世襲原理をとらなかった顕著な例である。単数・複数の血族集団の中で年齢と能力を認められた者が君主を継承する慣行は、夏(殷)、日本、新羅のそれぞれ初期など数多くある。日本の天皇の前身である大王(おおきみ)も、群臣の推挙によって一定資格を持つ王家の成員から選ばれていたとする学説も存在する。中世のドイツやポーランドやハンガリーでは、王家の断絶をきっかけに選挙王制が成立した。モンゴルの諸ウルスは事実上の世襲だが、クリルタイによる選挙で君主を決めた。なお、決まらない期間が長期に渡ると、空位(くうい)という状態となる。
世襲によらない君主継承(皇位継承、王位継承)は、君主の死(崩御)の際に継承争いを引き起こしやすい。複数の君主候補の下で栄達や褒賞を欲するさまざまな政治的集団が継承の争いに干渉してたびたび激しい暴力行為を生む。さらに、直系子孫に君主権を相続させたいと望む現君主の欲望にも即さないので、継承の安定を図り、現君主の希望も反映させる為の制度として、王太子という制度がある。これは現君主の存命中に次の君主を決定し、継承の争いを予防するものである。共同統治という制度も同じ目的で用いられることがある。
継承がさらに制度化されると、継承順位が世襲の原則によって規定された。その原則には長男相続制があてられる場合が多かった(モンゴルでは末子相続制があった)。長男相続制は次代の君主を自動的に一人に確定でき、君主の継承の争いを最小限にした。しかし血縁の順位のみで選ぶと無能な君主や幼少の君主の出現が避けられない。そのような治世は政治が混乱しがちで、多くの場合摂政がその任を代行したが、政治の安定と引き換えに統治の実権を臣下に移すきっかけになることもあった。
特異な事例として、アンドラ公国の君主がある。同国は歴史的な経緯により、フランス大統領とスペインのウルヘル司教を共同君主とする立憲君主制を採っている。共和制国家フランスの元首と、スペインの宗教指導者とが、他の独立国の君主を兼ねるという興味深い事例となっている。
関連項目