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北進論(ほくしんろん)とは、太平洋戦争前の日本で、「日本は北方地域へ進出すべきである」と唱えられていた対外論である。北進論でいう「北方」とは、満州国より北のソビエト連邦(ロシア)のことを指す。
概要
北進論は、幕末の開明派の名君・鍋島閑叟がロシアの南下を警戒して、そのために帝都を秋田に置くべきだという意見を起源に持つ。明治以後、日清戦争・日露戦争に勝利した日本は、東亜同文会を率いる近衛篤麿や神鞭知常の対露同志会などによって政策化されていく。また、民間ではウラジオストクで浪人団体を率いていた内田良平らが唱え始める。初期の北進論は必ずしも領土拡張や軍事的進出と結びついたものではなかったが、日中戦争に突入すると、大日本帝国陸軍と関東軍の思想的イデオロギーとして定着した。
日中戦争時
1941年7月、日本が仏領インドシナ南部に進駐したことで、アメリカ合衆国は対日全面禁輸に踏み切る。日本は戦争物資の枯渇に直面し、石油の備蓄は平時で2年分、戦時で1年半分しかなかった野村實 『日本海軍の歴史』 吉川弘文館 2002年。日本はオランダ領東インドを中心とする南方資源地帯からの資源調達を選択し、南進を開始した。「南進論」は新渡戸稲造や竹越与三郎ら当時の民間論者や殖民学者、海軍関係者によって盛んに唱えられ、当時の主流の考え方であり、「北進論」を唱える勢力は陸軍の一部にしか存在していなかった。「北進」はあくまでもソ連の打倒が目的であり、得られる資源は北樺太の原油程度にすぎず、日本国の需要を賄えるものではなかったのである。
第二次世界大戦時の「北進論」の台頭
先述したとおり、陸軍にとっての最大の仮想敵国は伝統的にソビエト・ロシアであった。陸軍はアメリカとの戦争は海軍の戦争であり、1942年春の対ソ攻勢を既に視野に入れていた。田中新一参謀本部第一部長が1940年末から翌年初頭にかけて作成した『大東亜長期戦争指導要綱』では、南方作戦は5,6カ月で終結させ、その兵力を北方へ転用することを進言した防衛庁防衛研究所戦史室編 1968年。1941年6月に独ソ戦が勃発すると陸軍内部には「北進論」が渦巻き、陸軍省は慎重であったが参謀本部は即時開戦に傾いた。そして、原嘉道枢密院議長・東条英機陸相の下、関東軍特種演習と称して八十五万人を動員し「南北併進論」にこぎつけることに成功した。しかし、北方への大動員により、資源の面で圧迫を受ける海軍は、陸軍の「北進」を非常に警戒しており、岡敬純軍務局長らは北進阻止のため1942年2月から審議を開始し、「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を作成したが、逆に陸軍の「対北方攻撃論」は邁進していった。
失策
このように、大東亜戦争(太平洋戦争)において、「南進」と「北進」は調整されることがなく、併存したまま日米開戦を迎えることになった。北進は、結果的に資源的には何も資することがない対ソ戦で消耗戦となり、米英からの資源が断たれることに加えて、米ソ連合の成立でソ連領の航空基地から出撃する爆撃機によって日本本土が壊滅的な被害を受けることにつながった松岡洋介宛石川信吾書簡。
脚注
参考文献
- 倉沢愛子,杉原達,成田龍一,テッサ・モーリス・スズキ,油井大三郎,吉田裕 『岩波講座 アジア・太平洋戦争〈7〉支配と暴力』 岩波書店 ISBN 4-00-010509-4
- 木戸日記研究会・日本近代史料研究会 『西浦進氏談話速記録』 日本近代史料研究会、1968年
関連項目