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ムスリム人ボスニア語セルビア・クロアチア語:)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国において、ボシュニャク人を指して用いられていた呼称。ボスニア・ヘルツェゴビナの主要構成民族のひとつである。1990年代のユーゴスラビア崩壊時におけるムスリム人の民族復興運動によって、ボスニア・ヘルツェゴビナでは公式にその歴史的呼称であるボシュニャク人の呼称が承認されたImamović, Mustafa (1996). Historija Bošnjaka. Sarajevo: BZK Preporod. ISBN 9958-815-00-1。旧ユーゴスラビアに居住していた多くの人々が、現在でも民族名称として(ボシュニャク人ではなく)ムスリム人という呼称を自認しており、またコソボマケドニア共和国においては少数がゴーラ人トブレシュ人(マケドニア・ムスリム人)、ポマクを自認している。後2者は旧ユーゴスラビアの範囲外のイスラム教徒スラヴ人によっても用いられており、主としてスラヴ人が多数派を形成しているブルガリアや、少数派としてスラヴ人が居住しているギリシャトルコにもこれらの名称は見られる。

旧ユーゴスラビア地域において、およそ1万人が現在でもムスリム人という民族意識を保持しているが、その範囲外では既にこの呼称は認識されていない。

歴史


ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の憲法では、「narodi」(国家の主要民族で、憲法に明記され、特別の保護を受けられる)と「narodnosti」(少数民族)が規定されていた。ユーゴスラビアでは、オーストリア=ハンガリー帝国とは異なり、ボシュニャク人はその呼称を許されてはいなかった。1960年代における議論のなかで、多くのボシュニャク人の共産主義知識人は、ボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム教徒はひとつのスラヴ系の民族として認識されるべきであると指摘してきた。しかしながら、ボシュニャクの名称は否定されてきた。ボシュニャク人政治家で大統領のハミディヤ・ポズデラツHamdija Pozderac)の発言:

この合意によって、憲法は1968年に改正され、ボシュニャク人という名称ではなく「ムスリム人」という名称で新たに民族として認められた。ユーゴスラビアのムスリム人政策は、ボシュニャク人を地域的な民族ではなく宗教による区分とすることを目的とし、彼らに対してそのボスニア性を無視し認めないものであったImamović, Mustafa (1996). Historija Bošnjaka. Sarajevo: BZK Preporod. ISBN 9958-815-00-1

他の用語として、「頭文字が大文字のムスリム」とも呼ばれる。頭文字が小文字の、一般名詞としてのムスリム(ムスリマン)とはイスラム教徒のことであるのに対して、「頭文字が大文字のムスリム」は民族呼称であるためである。セルビア・クロアチア語の話者は時として他民族をその頭文字で呼ぶことがあったことによる。

1990年代以降、200万人程度を数えるムスリム人の多くはボスニア・ヘルツェゴビナ、あるいはサンジャク地域に住み、自身を「ボシュニャク人」と規定しているThe New Constitution of Bosnia and Herzegovina(複数形は「Bošnjaci」、単数形は「Bošnjak」)。他方で、特にボスニア・ヘルツェゴビナ国外において、現在でも自身を「ムスリム人」と規定している人々もいる。ボスニア・ヘルツェゴビナの選挙法ならびに憲法では、1991年の統計調査の結果に従い、「ボシュニャク人」の呼称を承認している。

人口


スラヴ系ムスリム(ムスリム人、ボシュニャク人)が多数派を占める地域

脚注


関連項目



ボスニア・ヘルツェゴビナの民族
セルビアの民族
モンテネグロの民族
コソボの民族
マケドニア共和国の民族



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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