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Marcel Junod in 1952 (© Benoit Junod, Switzerland)
マルセル・ジュノーMarcel Junod1904年5月14日 - 1961年6月16日)はスイス医師ジュネーヴ大学麻酔科学を専攻。赤十字国際委員会の派遣員を第二次エチオピア戦争スペイン内戦第二次世界大戦の期間に渡って務めた人物である。第二次世界大戦後、赤十字国際委員会副委員長も務めた。

経歴


  • 1904年5月14日 - スイスのヌーシャテル州ラ・ショー=ド=フォンに生まれる。
  • 1935年10月 - 赤十字国際委員会の要請を受けて派遣員となり、エチオピアへ赴く。(第二次エチオピア戦争
  • 1936年7月 - 赤十字国際委員会の要請を受けて派遣員となり、スペインへ赴く。(スペイン内戦
  • 1939年9月 - 赤十字国際委員会の要請を受けて兵役義務を免除され、派遣員となる。以後、第二次世界大戦中にドイツポーランドフランスギリシャの各地を廻り、人道支援(捕虜や被災者の安否確認、捕虜の郵便物交換の仲介、捕虜や被災者への救護物資の手配、医療支援等々)に尽力する。
  • 1944年 - 赤十字国際委員会駐日主席代表に任命されるが、日本政府からの入国許可を得られずジュネーヴに留まる。
  • 1945年6月 - ジュネーヴを発ち、カイロテヘランシベリアを経て満州国に到着。連合国の捕虜訪問活動を行う。
  • 同年8月9日 - 東京に着任。連合国捕虜の収容状況の確認作業を開始する。
  • 同年9月1日 - 広島の惨状の報告を受け、GHQと交渉して15トンの医薬品(包帯、乾燥血漿など)の提供を受けることに成功する。これは1万人の被災者を1ヶ月治療できる量であったとされる。
  • 同年9月9日 - 広島を視察。原爆の惨状を目の当たりにする。
  • 1946年 - 日本を離れる。以後、毒ガス核兵器の非人道性を強く世界にアピールする活動を行う。
  • 1961年6月16日 - スイスにて没。

特記事項


彼はスペイン内戦の際にはフランコ政権側から、第二次世界大戦時にはドイツ側から危険分子とみなされており、ゲシュタポの拘束を受けたこともある。広島の惨状を知った際にはいち早くGHQに交渉して医療物資を提供させるなど交渉人としても卓越した人物であった。

参考文献・資料


  • マルセル・ジュノー(著)、丸山幹正(訳)『ドクター・ジュノーの戦い 増補版』(勁草書房、1991年)ISBN 4-326-75037-5
  • 『赤十字新聞 第771号』(日本赤十字社、2004年8月1日発行)
  • 太田成美 訳・著『赤十字の源泉を求めて-エピソードでつづる赤十字の心-』(日本赤十字社)

補記


日本テレビ系列で放送されていた知ってるつもり?!で、生涯や功績が取り上げられた。

関連項目



スイスの医学者
スイスの医師
麻酔科医
赤十字の人物
ジュネーヴ大学の教員
原子爆弾に関連する人物
広島原爆
スペイン内戦の人物
1904年生
1961年没



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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