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ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Álvares Cabral, 1467/1468年 - 1520年)は、ポルトガルマヌエル1世に顧問官として仕えたキリスト騎士団の一員で、彼が隊長として率いた第2回インド遠征隊は1500年4月22日、ブラジルに「漂着」した。

ユーロ移行前の1996年にポルトガルで発行された最後の1000エスクード紙幣で肖像が使用されていた。また、2000年には「漂着」500周年を記念してブラジルで10レアルポリマー紙幣が発行された。

経歴


1468年頃、カブラルはポルトガルのベルモントで生まれる。マヌエル1世は、第1回のヴァスコ・ダ・ガマのインド遠征隊を引き継がせようと、航海技術などを学び、訓練を受けていたカブラルを後継者に選んだ。第2回インド遠征隊でのカブラルの任務は、永続的な貿易関係の確立と、到着地におけるキリスト教の布教であり、必要があれば武力を行使した。フィレンツェの富豪商人が船の設備を提供し、キリスト教の聖職者は、自ら進んで遠征隊に加わった。13隻の船と約1500人から成る艦隊の船長には、バルトロメウ・ディアスペロ・ヴァス・デ・カミーニャ(Pêro Vaz de Caminha)、サンチョ・デ・トーヴァー(Sancho de Tovar)やヴァスコ・ダ・ガマと航海を共にしたニコラウ・コエリョ(Nicolau Coelho)らがいた。1500年3月9日、13隻の艦隊がリスボンを出発した。

遠征航海


  • 1500年3月8日、13隻の大編成で西を目指してテージョ川を出帆
  • 1500年4月22日、陸地を「発見」。漂着したバイーア州(Bahia)ポルト・セグーロ(Porto Seguro)を「イリャ・デ・ヴェラクルス(Vera Cruz島)」と命名し、ポルトガル領と宣言した。(のちの「サンタ・クルスの地(Terra da Santa Cruz)」)
    • カブラルの艦隊に同行していた貿易商たちは、「ブラジル木」(パウ・ブラジル(Pau-Brasil);赤色染料の原料となる植物)を見つけて、この地を“ブラジルの地”と呼び、これが今日の呼び名「ブラジル」の語源にもなった。

  • 1500年5月3日、航海を再開。5月末には喜望峰に接近するが、嵐に見舞われ、バルトロメウ・ディアスの船を含む4隻を失う。この時点での船の数は、出発時から半減した。
  • 1500年7月16日、現在のモザンビークソファラに到着。
  • 1500年7月26日、現在のタンザニアキルワ(Kilwa)に到着。
  • 1500年8月2日、現在のケニアマリンディに到着。歓迎を受け、インド航路を案内する航海士を得る。
  • 1500年8月10日、天候によりディオゴ・ディアス(Diogo Dias)の船がはぐれ、マダガスカル島を発見する。
  • 1500年9月13日、インドカリカットに到達。
  • 1501年7月21日、東洋産の香料を得て、ポルトガルに帰帆。

外部リンク




ポルトガルの探検家
ポルトガル・エスクード紙幣の人物
ブラジルの紙幣の人物
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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