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バダホス()は、スペインの都市。エストレマドゥーラ州バダホス県の県都である。ポルトガルとの国境のそばに位置し、グアディアナ川の左岸に面する。人口は143,019人(2005年)。

概要


パルマス門
バダホスには司教座が置かれている。ムーア人の城の遺跡を頂く高台に築かれ、グアディアナ川を見おろす位置にある。堀のある頑丈な市壁に囲まれ、いかめしい外見を見せる。城のある丘とサン・クリストバルの要塞の間を流れる川には、花崗岩の橋がかけられている。バダホスの外見は、厳しい歴史を思い起こさせる。カテドラル(1238年)も胸壁のある要塞のような姿をしている。

歴史


アルタ広場
バダホスには先史時代から人間が住んでいたが、都市は875年後ウマイヤ朝の軍人で反乱を起こしたイブン・マルワンによって築かれた。1031年、タイファの1つバダホス王国の首都となった。1168年に短期間ポルトガルに支配されたあと独立を保ち、1229年にアルフォンソ9世に奪われた。国境の要塞として、この都市は何度も包囲攻撃を受けた。1660年にはポルトガルに、1705年にはスペイン継承戦争の同盟国に攻囲された。

スペイン独立戦争では1808年と1809年にフランス軍に攻撃されるが、このときには持ちこたえた、が1811年3月10日にはスールト元帥のフランス軍に降伏した。べレスフォードの率いるイギリス軍がバダホスを奪還しようとし、5月16日にアルブエラの戦いで救援軍を破ったが、6月には攻囲は放棄された。

1812年アーサー・ウェルズリー(のちの初代ウェリントン公爵)は、フランスの部隊5000名を擁するバダホスの奪還を試みた。3月16日に攻囲戦が開始され、4月始めには市壁に3つの突破口が開かれた。4月6日、イギリス軍2個師団がこの突破口から急襲した。この攻撃は5時間にわたって勇敢に続けられたが、損害が大きく何度も押し戻された。5000名の死傷者を出してウェリントン公はバダホスを占領した(を参照)。

1883年8月、軍と共和派による反乱がバダホスで起こったが、失敗に終わった。

スペイン内戦では、1936年にこの地でバダホスの戦いが行われ、フランコ軍が勝利した。多くの共和派が闘牛場で処刑された(を参照)。

人口

スポーツ


テルセーラ・ディビシオンに所属するサッカークラブ、CDバダホスが本拠地を置いている。

バダホス出身の人物


姉妹都市・友好都市


参考文献

脚注



外部リンク



エストレマドゥーラ州の自治体
バダホス県の自治体



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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