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ハワイ共和国(はわいきょうわこく、Republic of Hawaii)は、かつてハワイに存在したアメリカ合衆国による傀儡政権。カラカウア王朝に対して革命を起こして成立した。
概要
ハワイ王国にアメリカ合衆国からの入植者が増え、サトウキビ栽培や輸出などによって経済的にも力をつけはじめると、より親米的な政治を求める声が特に経済界から強くなった。1887年にクーデターが起こり、カラカウアは修正憲法()の成立を承認せざるを得なくなったが、この修正憲法によって国王の権限は制限され、ハワイ王国は対米従属を余儀なくされた。ハワイ王国の滅亡はこれに始まる。1893年1月16日、アメリカ合衆国と関連の深いサトウキビを扱う業者らがさらに親米的な政権を打ち立てるため、政権の転覆を計画した。アメリカ海軍艦USSボストンは、首謀者サンフォード・ドールとロリン・A・サーストンを保護する名目でホノルルに到着し、リリウオカラニ女王は幽閉状態となった。1月17日、ドールはハワイ臨時政府を打ち立て、王政の廃止を宣言した。このとき大日本帝国は在留邦人保護の名目で巡洋艦浪速(艦長東郷平八郎)などを送り女王の側近とのみ接触していることから、派兵を王国政府側からの要請であったとする説もある『日本はどれほどいい国か』日下公人、高山正之、PHP研究所、2008年 ISBN 4569701817なお、そのころの日本はハワイ王国と条約を結んでおり、官制移民も多かった。(ハワイ共和国時代、日本出身者が人口の40%を占めていた)。
翌1894年7月4日、ドールはハワイ共和国の成立を宣言し、同国の最初で最後の大統領となった。1895年1月に王党派による最後の大規模な武力蜂起が起きたが鎮圧され、1月16日にはリリウオカラニも私邸から大量の武器が発見されたという理由で逮捕され、廃位された。ドールはハワイをアメリカ合衆国に併合する条約を作り、この条約が成立したときハワイ準州の初代知事に任命された。
1898年8月12日、時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーはハワイのアメリカ合衆国領への編入を宣言し、同日、イオラニ宮殿に掲げられていたハワイ王国国旗が降ろされて星条旗が揚げられた。この時、古来のハワイ住民らは悲しみの声をあげたという。これによりハワイはアメリカ合衆国の準州として編入され、王国の約100年間の歴史は完全に幕を閉じた。
脚注
ハワイ州の歴史
アメリカ合衆国の領土拡大の歴史
かつて存在したオセアニアの国
かつて存在した共和国
1890年代