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湖上の漁師たち
ネオランプロローグス・シリンドリカス
タンガニーカ湖(タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、タンザニア西端にある淡水湖。タンザニア、ザンビア、コンゴ民主共和国、ブルンジに面する。
地誌
南緯3°25' - 8°45'、東経29°10' - 31°10'、海抜773mに位置し、東西40 - 50km、南北650kmに細長くのびる。面積は32,900km²で、アフリカで2位、世界で5位。深さは平均水深570m、最大水深1,471mでアフリカで1位、世界で2位。周囲は1,900km、貯水量約17800km³。バイカル湖に次ぐ世界で2番目に古い古代湖(推定2000万年)といわれる。アフリカの大地溝帯・グレート・リフト・バレーによって形成され、地溝帯内にある最大の湖で、西リフト・バレー内にある。非常に深いことなどから湖水の上下循環がきわめて悪く、深層の水は流動せず、「化石水」と呼ばれる貧酸素水塊となっている。集水域は約231,000km2で、主要な流入河川は、キブ湖から出てタンガニーカ湖北岸に流入するルジジ川と、タンザニアで2番目に大きく、タンガニーカ東岸に流入するマラガラシ川であるが、このほかにも無数の小河川が湖に注ぎ込んでいる。一方、流出河川は西側にあるルクガ川のみであるため、湖水の滞留時間が非常に長く(1000年にも及ぶといわれる)、その90%以上は蒸発により失われるとされる。ルクガ川は下流でコンゴ川に合流している。そのため、水系としてはコンゴ川水系に属する。
歴史
古来よりこの地域には黒人が居住していたが、湖岸に平野部が少ないこともあり領域国家は長い間成立しなかった。16世紀になるとヴィクトリア湖から南の大湖地方に諸王国が相次いで成立するようになり、タンガニーカ湖地方においても北端にブルンジ王国が成立したものの、それ以南においては以後も領域国家は成立せず、部族単位の分立が続いた。しかし、主にインド洋に面した大陸東岸にやってくるアラブ人たちとの遠距離交易は行われていた。19世紀半ばになると、海岸部のザンジバルに拠点を置いたオマーン王国国王サイイド・サイードが交易を奨励したことから、従来海岸部にとどまって内陸諸民族から交易品の供給を待っていたアラブ人商人が直接内陸部へと進出して交易に乗り出すようになり、ティップー・ティプなどの奴隷商人がこの地域に進出するようになった。一方、この頃には産業革命によって資源の供給地や工業製品の販路を求めるようになったヨーロッパ諸国がアフリカ大陸内部を探険するようになった。1858年、ナイル川の源流を探検していたイギリスの探検家リチャード・バートンとジョン・スピークによって発見された(欧米人に知られるようになった)『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.265。この発見の後、バートンは体調不良により探検をストップしたが、探検を続行したスピークはヴィクトリア湖を発見。タンガニーカ湖がナイル川の源流であると考えるバートンと、ヴィクトリア湖がナイルの源流であると考えるスピークの大論争が勃発した吉田昌夫『世界現代史14 アフリカ現代II』山川出版社、1990年2月第2版。p.32-33。
この論争に決着をつけるべく、デイヴィッド・リヴィングストンが1866年に探検を開始し、1867年にはタンガニーカ湖畔にたどりついたものの体調が悪化し、1868年にはキゴマの南西7kmに位置する湖畔のウジジの村で静養した。リヴィングストンのウジジ滞在は3年に及び、本国イギリスと音信不通となったため、ニューヨーク・ヘラルド紙は救出隊としてヘンリー・モートン・スタンリーを派遣。1871年11月10日、両者はウジジで対面した。このときにスタンリーが発した「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?(Dr. Livingstone, I presume?)」は、当時の流行語となった。
その後、アフリカ分割によって19世紀末には東岸がドイツ領東アフリカ、西岸がコンゴ自由国(のちベルギー領コンゴ)、南端がイギリス領北ローデシアに分割された。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、タンガニーカ湖もアフリカ戦線の戦場となり、ドイツ軍とイギリス軍が水上戦をおこなった。1915年にはイギリス軍のモーターランチであるミィミィ、トウトウがドイツの砲艦キンガニを拿捕し、ついで武装商船ヘードヴィヒ・フォン・ヴィスマンを撃沈、さらに特設砲艦グラーフ・フォン・ゲッツェン (砲艦)が爆撃されてドイツ軍は湖上の支配権を失った。
生態系
世界でも固有種の多い湖として有名で、ここに生息する魚の約80%、貝類の約90%が固有種である。多くの淡水魚やデンキナマズ、肺魚などが生息する。湖で最も個体数の多い魚はニシン科の2種(Limnothrissa miodonと Stolothrissa tanganicae)とアカメ科アカメ属Latesの4種の合計6種の遊泳魚で、魚類の現存量の大部分を占ている。しかし種として見ればこれらはごく一部であり、湖からは少なくともシクリッドが300種とそれ以外の魚が150種ほど知られており、その大部分は底生魚(主として湖底付近で生活する魚)である。約300種のシクリッドのほとんど(90%以上)が固有種で、このような固有化は無脊椎動物にも起こっており、貝類、ヒル類、カイアシ類(橈脚類)、カニ類などで顕著である。特にカワニナ類には一見海の貝のように見えるものも多く、他の淡水域には見られない際立った進化を見せている。水質がやや強いアルカリ性であるため、貝類の死殻の多くは溶解せずに長期間堆積しており、無数にあるNeothauma tanganyicense(タニシ科)の空殻はカニの隠れ家となったり、住処や産卵シェルターとしてそれらを使うように進化したシクリッドなども生息する。これらのシクリッドはタンガニーカ湖産シクリッドとして、マラウイ湖のシクリッドと合わせてアフリカン・シクリッドという名で観賞用の熱帯魚として養殖され、欧米や日本に輸出される。
湖の魚は周辺地域に住むの人々の主要なタンパク源となっている。湖の周囲では約800箇所で漁業が営まれ、漁業に直接かかわっている人が約4万5000人、間接的に依存している人は約100万人といわれる。タンガニーカ湖産の魚は東アフリカ全域にも輸出されている。商業漁業は1950年代半ばに始まり、1995年の総漁獲量はおよそ18万トンであった。商業漁業は漁獲対象である遊泳魚種に対し重大な影響を及ぼしているともいわれ、初期からの水産会社の中には、漁業がもっとも盛んであった1980年代に急成長したものの、その後倒産してしまったものもある。
人文
構造湖であり非常な深さを誇るため、沖積平野の発達がなく湖岸平野がほとんど発達していない。沿岸最大の都市は湖北端に位置するブルンジの首都ブジュンブラであり、その他東岸にタンザニア中央鉄道の発着駅であるキゴマ、西岸にカレミ、南端にムプルングなどの町があるが、概して都市の発達はあまりない。タンガニーカ湖は4カ国にまたがり、道路網の発達していない地域において重要な交通路となっているため、国際水域となっている。
2003年には周辺諸国によってタンガニーカ湖の持続的管理に関する条約(タンガニーカ湖の持続的管理に関する条約)が結ばれた。
交通
タンガニーカ湖は上述のように、周辺の貴重な交通路となっている。とくにタンザニア中央鉄道の終着駅である東岸中央部のタンザニアのキゴマと、コンゴ側の鉄道の終着駅であり、鉄道を通じてカタンガやベンゲラ鉄道とつながる西岸中央部のコンゴ民主共和国のカレミの間にはフェリーが走り、大陸横断ルートを形成している。また、南端にあるザンビアのムプルングや北端のブルンジのブジュンブラも重要で、上記4都市を起点として各町村を結ぶフェリーが運航している。ブルンジとザンビアは国境を接していないが、ムプルングとブジュンブラを直接結ぶ貨物船が就航しており、コンゴやタンザニアを経由せず行き来ができる。上記のグラーフ・フォン・ゲッツェンは、1924年に引き上げられて貨客船リエンバ号として復活し、タンザニアと諸国を結ぶ国際船として現在もタンガニーカ湖上で運行している 「タンザニアを知るための50章」p158 栗田和明・根本利通編著 明石書店 2006年7月10日初版第1刷 。この湖が始めて外部と交通機関で結ばれたのは、1914年にタンガニーカ鉄道がキゴマまで延び、ダルエスサラームと鉄路がつながった時である。ついで1915年にはアルベールビル(現カレミ)まで鉄道が延び、南アフリカのケープタウンと、さらに1928年にはベンゲラ鉄道の全通によりポルトガル領のベンゲラ港と結ばれた。
脚注
外部リンク
- World Lakes Detabese(世界の湖データベース)
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- タンガニーカ湖生物多様性プロジェクト(英語・フランス語)
- タンガニーカ湖のPlatythelphusa属カニ類(英語)
- タンガニーカ湖産シクリッド(日本語)
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