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橙(だいだい)色がスエビ人の居住区。現在の北中部ドイツ一帯に広がっている。
スエビ族(、、: 、、)は、古代ヨーロッパの民族。「シュエビ」「スウェイビア」とも呼ばれる。

タキトゥスの『ゲルマーニア』に言及があり、いわゆるゲルマン系に属する民族として描かれるがケルト系の説もあるなど、その民族系統は不明である。

歴史

民族移動時代の前のスエビ族


スエビ族は元々、バルト海南部を故地とするという。ローマではバルト海南東海域がスエビの海(Mare Suebicum)と呼ばれた。紀元前からゲルマニアに住み、ローマ領やガリア(現在のフランス)の地へ侵略を繰り返した。カエサルガリア戦記にも名を残す。ローマでは民族移動時代の前ではゲルマニアに住む民族のうち最強の民族として知られていた。帝政期に入ってからもたびたび侵略し、スエビ族らの攻撃を防ぐためローマ帝国リーメスを建設する。

ガラエキアの王国のスエビ族


ゲルマン民族の大移動の時期、一部のスエビ族は、陸路、あるいは、海路からイベリア半島ガラエキア(現ガリシア)地方に411年に定住し王国を築いた。419年に、アラン族ヴァンダル族を追放し、原住民やローマ人とガラエキアを分割し、農村地帯を支配したといわれる。5世紀中葉に最初の全盛期を迎え、ガラエキアにとどまらず、現アストゥリアス地方西部、現カスティーリャ・レオン地方西部と現ポルトガルの北部にまでその版図は及んだ。448年、アリウス派西ゴート王国に対抗して、スエビ王レキアリウスはカトリックに改宗した。しかし、456年西ゴートに首都ブラカラ(現ポルトガル北端部)を占領され、レキアリウスは囚われて、457年ポルトゥカレ(現ポルトガル北端部)で殺害された。一方、ガラエキアでは、マルドラによって新王朝が建てられて、西ゴートの朝貢国になったり、西ゴートと共存を図ったりし、6世紀末までその王朝を維持することができた。マルドラ王朝は、純粋にスエビ族であったのか、若干混血しただけで、スエビの王権を主張したかは不明だが、後者の可能性が強いと考えられている。

マルドラの子、レミムンドゥスは、再びアリウス派に改宗したが、6世紀中葉にカトリックの影響力が強まったことや、正統教義を奉じるフランク王国東ローマ帝国との交流があったことで、再びカトリックに改宗した。576年頃から西ゴートの攻撃が始まり、最後のスエビ王アンデカは、西ゴートの王位継承争いでカトリックに改宗したエルメヒルドを応援し、西ゴート王レオビヒルドに対抗したため、ブラカラとポルトゥカレを占領されて、王位を剥奪され、王国は585年に滅亡した。

現アレマン語圏のスエビ族


また、イベリア半島へ移動しなかったスエビ族もいた。カール大帝フランク王国に仕え、アラマンニ公国を築いたアラマンニ人がスエビ族の一派とも言われる。彼らはライン川付近にある南西ドイツシュヴァーベン(スエビの名から。英語ではスウェイビア、仏語ではスワーブ)、スイスドイツ語圏フランスアルザスに定住しているアレマン語圏(ドイツ語の一種)の人々の先祖と言われる。

民族系統


タキトゥスの『ゲルマーニア』ではゲルマニア文化に属する民族として記載されているため、長らくゲルマン系として扱われていた。しかし「ゲルマニア」は後世に判明した事実とは異なる部分が多く、スエビへの言及についても疑問が持たれている。タキトゥスより後の歴史家カッシウス・ディオは、「スエビ人はライン川に定住するまではケルト人と呼ばれていた」と述べており、ケルト系民族であることを示唆している。

ガリア戦記によるとガリア系民族からはゲルマン人の一部と見なされていたようである。

関連項目



スペインの歴史
ポルトガルの歴史
ドイツの歴史
スイスの歴史
古代ゲルマン
ケルト



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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