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世界 > オセアニア > ミクロネシア > アメリカ合衆国 > 北マリアナ諸島 > サイパン島
サイパン島(サイパンとう、Saipan、漢字表記:彩帆)は、アメリカ合衆国の自治領である北マリアナ諸島の中心的な島であり、首都ススペ (Susupe) も同島にある。
地理
北緯15°15'東経145°45'で、面積は122km²、人口58,000人。サイパン島を含む北マリアナ諸島は、小笠原諸島の南方、世界で最も深いマリアナ海溝の近くに位置する。透き通った海水とサンゴ礁(ラグーン)に囲まれたリゾート地で、日本から最も近い英語圏である。付属島としてマニャガハ島がある。サイパン島の北にはファラリョン・デ・メディニラ島、南にはサイパン海峡を挟んでテニアン島 (Tinian) 、ロタ島(Rota)がある。島の最高所は、タポーチョ山の473m。
地名
- アチュガオ(Achugau)
- アフテナ(Afetna)
- アスリート(As Lito、旧南村)
- アスマチュイス(As Matuis)
- アスペルディード(As Perdido)
- キャピトルヒル(Capitol Hill、旧中山)
- チャランカノア(Chalan Kanoa、旧茶覧)
- チャランラウラウ(Chalan Laulau)
- チャランピアオ(Chalan Piao)
- ダンダン(Dandan、旧段段村)
- フィナシス(Fina Sisu)
- ガラパン(Garapan、旧柄帆町)
- カグマン(Kagman)
- コブラーヴィル(Koblerville)
- ラウラウ(Laulau、旧東村)
- ラダー (Ladder、旧羅多)
- マッピ(Marpi、旧松尾)
- ネイビーヒル(Navy Hill)
- パパゴ(Papago)
- サンアントニオ(San Antonio)
- サンロケ(San Roque、旧南興村)
- サンホセ (San Jose、旧白石村)
- サンヴィセンテ(San Vicente)
- ススペ(Susupe、旧鈴部町)
- タナパグ(Tanapag、旧棚葉町)
- タポチョ(Tapochau、旧香取)
- グアロライ(Gualo Rai)
気候
年間を通して高温湿潤で、気温変化が少ない熱帯海洋性気候であり、空気は清浄で細塵が少ない。平均気温は27℃と常夏の島であり、1年中海水浴を楽しむことができる。季節の変わり目が明瞭でないが、乾季(11月 - 3月位)と雨季(4月 - 10月位)の2季に分けられる。雨季はスコールが多く、近隣の海洋上では、熱帯低気圧が発生する地域でもある。
歴史
スペイン統治時代
1521年3月6日にマゼランがヨーロッパ人として初めてマリアナ諸島を発見し、1565年にはマリアナ諸島の領有を西欧諸国に布告した。それ以降、3世紀に渡りスペインの統治下にあった。1668年にイエズス会のサンヴィトレス神父を長とする伝道使節団がマリアナ諸島のグアム島に来訪して以来、マリアナ諸島全域で住民のキリスト教化が始まった。当初の布教は順調であったが、先住民の習慣に干渉する神父たちに島民は反感を抱くようになり、1670年1月にサイパン島で先住民による伝道師殺害事件が起きた。この事件がその後十数年に及ぶスペイン=チャモロ戦争の発端となり、スペインは軍隊を派遣して先住民を虐殺した。
その後、1695年にスペインはサイパン以北のマリアナ諸島の先住民をサイパン島に強制移住させたが、それらの島民も1698年にサイパン島に元からいた先住民と共にグアム島へ強制移住させられ、サイパン島は一時無人島となった。
1815年にはカロリン諸島のサタワル島から酋長アグルブに率いられた一団が移住し、更にスペインは、チャモロ人の帰島を認めたため再び同島は有人島となった。
ドイツ統治時代
空から見たサイパン島
1898年、米西戦争でスペインの支配は終わりドイツに売却される。ドイツは、開拓および先住民への教育政策を放棄し、同島を流刑地に選んだ。
日本統治時代
1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、10月14日には連合国側であった日本が赤道以北の南洋諸島全体を占領した。この事に伴い、日本国内では彩帆島と呼称される事となる。1920年には、国際連盟の委任統治領となり、同島には南洋庁サイパン支庁が設置され、都市開発や公衆衛生、産業振興、教育政策が急速に推進された。日本による委任統治領となった後は、サイパン島は内地から南洋への玄関口として栄え、サイパンで産出された砂糖の積み出し港としての役割にとどまらず、同じく日本の委任統治領であるパラオやマーシャル諸島、カロリン諸島などとの間での貿易の中継地点としても発展する。この時期には、プランテーションにおける労働力、港湾荷役労働者、貿易商、行政官吏として、日本(主に沖縄県出身者)や台湾、朝鮮からの移民が移住した。
その間、国策会社の南洋興発株式会社がサイパン、ロタ、テニアンを開拓し、アジア最大の製糖産地として発展させた。設立者の松江春次は、「砂糖王(シュガーキング)」と呼ばれ、彼の功績が称えられて、彩帆神社境内に「彩帆公園(現砂糖王公園)」が造園され、現職社長としては異例の寿像が建立された。
1943年8月の時点での人口は日本人(台湾人、朝鮮人含む)29,348人、チャモロ人、カナカ人3,926人、外国人11人となっていた。
第二次世界大戦
第二次世界大戦中は、日本軍司令部があったこともあり、1944年6月のアメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸の際には、住民を巻き込んだ激しい戦闘によって多数の犠牲者を出した。現在でもバンザイクリフ (Banzai Cliff) やスーサイドクリフ (Suicide Cliff) など島のあちこちに戦争の名残がある。
戦後
1944年7月以来、サイパン島は、連合国の一国であるアメリカ軍の軍政下に置かれたが、1947年に国際連合の信託統治領「太平洋諸島信託統治領(施政権者:アメリカ合衆国)」となった。1981年1月9日、アメリカ合衆国内の自治領である「北マリアナ諸島」としてアメリカ合衆国内に留まったが、北マリアナ諸島以外は次々と分離独立していった。1980年代に入ると、日本のデベロッパーからの投資が活発に行われるようになり、多くのリゾートホテルやゴルフ場が建設された。現在では、日本人の保養地として栄えるようになった。
第二次世界大戦終戦60年にあたる2005年には、6月27日から翌28日にかけて今上天皇・皇后が戦没者を慰霊する為、天皇が史上初めて友好親善ではない慰霊目的だけの海外訪問として当地に行幸した。
現況
サイパンを訪問する観光客は、依然として日本人が大多数であるが、最近は日本人の渡航先が多様化した上、日本航空による定期便運休の影響もあり、日本人観光客は、ピーク時に比べ減少傾向にある。それに代わり、韓国や中国からの観光客が増加している。また、アメリカ合衆国本土とは違い、両手10本による指紋採取が行われていないなど入国審査が緩やかであったためか、韓国の仁川国際空港などを経由してロシアからの観光客も多く見かけるようになった。ところが、2009年11月28日から北マリアナ諸島において連邦化が実施され、それまで北マリアナ政府が担当していた入国審査を合衆国政府に移管し、合衆国本土と同じ出入国管理法が適用されるようになった。したがって、現在は指紋採取も合衆国同様実施されており、中国人やロシア人に対しては入国ビザが必要になるなど入国審査が厳しくなった。本来ならば同年6月1日から実施する予定であったが、住民の反対運動や連邦化への準備不足などの影響から180日延期された。
交通
航空
サイパン国際空港
サイパン国際空港には、成田国際空港・関西国際空港から毎日直行便を運航している。現在、日本からの定期便運航は、デルタ航空(旧ノースウエスト航空)とアシアナ航空(関西国際空港経由)が直行便を就航させている。チャーター便では、日本航空やユナイテッド航空が直行便を運航している。乗り継ぎ便としての日本発着のサイパン便は、グアムを経由してサイパンに入るコースが多い。コンチネンタル航空が新千歳空港・仙台空港・新潟空港・岡山空港・広島空港・福岡空港からグアム経由便を運航している。また、上記のグアムや仁川国際空港・上海浦東国際空港などへの国際定期線や、テニアン国際空港・ロタ国際空港への国内線も運航されている。
島内
日本統治時代には、蒸気機関車による軽便鉄道があった。この路線は、南洋興発がサトウキビの輸送と物資の運搬を図るために建設された。北部のバードアイランド付近からガラパンを通り南部のマジシャン湾まで、島内を一周するように運行されていたが、サイパンの戦いで破壊され消滅した。現在、島内には鉄道が無いため、島内の交通は主として自動車が使われ、地元住民は、原則として自家用車かタクシーなどでの移動が一般的である。観光客向けの公共交通手段としては、観光客が集中するガラパンを中心に、DFSギャラリアのシャトルバスが往来し、ホテルやカントリークラブ間を連絡している。
以前は、九州産業交通の現地法人であるサイパン産交が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の産業再生機構活用による事業再編の一環として売却された。
観光
マリンアクティビティ
マイクロビーチ
サイパンは、日本から直行便で3時間程度で行けるマリンリゾートであり、海の色は1日に7回変わるといわれ、透明度が場所と季節によっては60mにもなる世界有数の美しい海である。そのため、マニャガハ島近傍などで行われる日本人を対象にしたマリンアクティビティ(スクーバダイビング、シュノーケリング、バナナボート、パラセーリング、ウィンドサーフィン、ウェイクボード、スピアフィッシング、ボートフィッシングなど)や、グロットや洞窟探検などのトレッキングが人気である。また、サイパンは、ライセンスなしに水上オートバイを操縦できるため、こちらも人気が高い。アウトリーフでは、サーフィンも可能(上級者向け)であり、その他にも、ボトムフィッシングやトローリング、ドルフィンウォッチ、潜水艇による水中展望などが楽しめる。
各種アクティビティ
マリンアクティビティに並ぶサイパンを代表するアクティビティがゴルフである。ダイナミックな海越えコースや、海風を攻略するシーサイドコースをはじめ、南国の大自然を満喫しながらプレイできるのも大きな魅力。ベストシーズンは、11~3月だが、真夏でも平均気温27℃のサイパンでは、年間を通して快適なプレイが楽しめる。その他、スカイアクティビティ(セスナの操縦やスカイダイビングなど)やランドアクティビティ(バギーカーやマウンテンバイクなど)も人気がある。北マリアナ政府観光局は、スポーツによる観光客招致に力を入れ始めており、マラソン、トライアスロン、エクステラ(オフロードトライアスロン)の大会が開催されている。いずれのコースも参加者から非常に評価が高く、隠れた魅力となっており、今後の盛り上がりが期待される。なお、かつては近鉄バファローズのキャンプ地でもあり、現在でも日本プロ野球選手が冬季の自主トレ地として利用している。
買い物
サイパンは、日本人観光客がとても多いことから、ホテルや免税店、土産物店などほとんどの場所で日本語が通じる。サイパンでは、関税や消費税などの間接税がかからないため、免税店(DFSギャラリア)以外でも全島で免税で買い物ができる利点がある。ただし、空港へ近づくにつれて物品の価格が上がる傾向があり、土産物の買物は繁華街のガラパン周辺のほうが安いといわれる。
飲食
サイパンでは、本場のチャモロ料理をはじめ、 新鮮なシーフードやボリュームたっぷりのステーキなど、南国ムードたっぷりのアメリカンなメニューが楽しめる。 さらに、日本人を筆頭に海外から多くの観光客が訪れるため、日本料理や中華料理、韓国料理など国際色豊かな料理が揃っている。バリエーションも幅広く、ホテル等の高級レストランからローカルなレストランや屋台まで、雰囲気や予算に合わせて選べる。市中の商店やレストラン、居酒屋などの多くは中国人や韓国人が経営しているが、片言の日本語が通じる店が多い。
ビールは、米国のバドワイザーやミラービール以外に、日本の各種ビールや中国・韓国・フィリピンのビールが置かれている。
なお、サイパンで生産されている緑茶には、砂糖やハチミツが入っていて甘い。
その他の見どころ
サイパン島には屋内射撃場(屋外射撃場は過去に流れ弾で死傷者が出たために禁止)がいくつか存在しており、拳銃は法規制で撃てないが、ライフルやショットガンを撃つことは可能となっている。また、バンザイクリフなどの戦跡や史跡を巡るツアーに加えて、サイパン動物園やサイパン熱帯植物園をコースに組み込んでいる島内観光ツアーもある(サイパン熱帯植物園は、現在休園中)。なお、テニアン島のダイナスティホテルには、ミクロネシア最大のカジノがある。
観光地
- マニャガハ島
- フォービデン島(禁断の島)
- バードアイランド
- グロット
- マイクロビーチ
- タポチョ山
- サイパン動物園
- サイパン熱帯植物園
- バンザイクリフ
- スーサイドクリフ
- ラストコマンドポスト(最後の司令部)
- アメリカ記念公園(アメリカンメモリアルパーク)
- 砂糖王公園(シュガーキングパーク)
- 北マリアナ諸島歴史文化博物館(旧南洋庁立サイパン医院)
- 彩帆香取神社
- サイパン国際礼拝堂(南瞑堂)
- スペイン教会鐘楼
- マウントカーメル大聖堂
主なホテル
- ハファダイビーチホテル
- ハイアットリージェンシーサイパン
- フィエスタリゾート&スパサイパン
- サイパングランドホテル
- サイパンワールドリゾート
- P.I.C(パシフィックアイランドクラブ)
- アクアリゾートクラブ
- パームスリゾート(旧ホテル・ニッコー・サイパン)
- マリアナリゾート&スパ
- ラオラオベイゴルフ&リゾート
長期滞在
現在55歳以上の日本人に対して、特例で査証なしの長期滞在が認められる制度がある。なお、韓国からは、「英語ができると将来有利である」との理由から、小学校や中学校へ母親連れで留学に来ている家族もある。
経済
日本統治時代のサイパン経済は、南洋興発による農業(サトウキビ)が中心に位置しており、その他多くの日本人が入植し、コーヒーやタピオカなどの栽培が盛んであった。しかし、第二次世界大戦の際に、アメリカ軍の絨毯爆撃で壊滅的打撃を受け崩壊した。そのため、世界的なマリンリゾートとして成長した今でもなお、マンゴーやバナナ、タロイモなどを栽培する小規模な農業以外、ほとんどの農作物は、アメリカ本土や南米など海外からの輸入がほとんどである。加工食品や清涼飲料水については、日本からの輸入が多い。現在のサイパンは、観光業が地元経済や雇用において大きな割合を占めている。特にガラパンには、巨大なリゾートホテルが軒を並べる他、多数の観光客向けのレストランや各種店舗が集中しており活況を見せている。
メディア
サイパンでは、サイパンに拠点を置く地元新聞社のSaipan Tribune(英語) と、サイパン 発、グアムや太平洋各島のニュースも掲載するMarianas Variety(英語) の2つの日刊紙が発行されている。また、日本経済新聞や日刊スポーツなどの日本で発行されている主要な新聞は、航空便で空輸され、ホテルのロビーなどで読むことができる。サイパンは、KPPI-LP(ABC7)(ABC系列)、KSPN 2、The Visitors Channel 3、WSZE-TV10(NBC系列)の4局のローカルテレビ局がある。その他にも、CNNの国際放送やNHKの日本語放送「NHKワールド」が視聴できる。
また、サイパンのローカルラジオ局は、AMラジオ放送局が1局と7局のFMラジオ放送局がある。
文化・名産物
ボージョーボ人形
サイパンの文化は、ミクロネシア系の先住民チャモロ人とカロリン人の文化である。サイパンの伝統的な文化は、西洋化の影響でほんの名残程度しか残っていないが、チャモロ語をはじめ、古代からの伝統や習慣は今も残されている。その多くは、土地や海に対する畏敬の念に基づいたもので、ジャングルへのハイキング、サンゴ礁や外洋で釣りをする際には、「タオタオモナ」の霊(先祖の霊)に敬意を払う習わしが今もある。一方、カロリニアン文化はチャモロに比べると古来の姿をとどめており、ココナッツオイルやマーマーと呼ばれる花冠、椰子の葉で籠や帽子を編む椰子の葉細工、伝統的なカヌーなどに見ることができ、リゾートホテルなどのディナーショーでは、ミクロネシアの伝統的なダンスを鑑賞することができる。
- ボージョーボ人形(BO JO BO Wishing Doll)
- マリアナ諸島の先住民チャモロ民族の間で古くから親しまれていた願掛け人形。「ボージョーボ(Bo jo bo、和名ウジルカンダ)」と現地で呼ばれているツタ性の植物の種を体や頭部に使い作られている。その手足の組み方で様々な願いが叶うとされている。日本テレビの『ザ!世界仰天ニュース』で取り上げられてから人気商品となった。
- ラッテ・ストーン (Latte stone)
- ラッテ・ストーンとは、マリアナ諸島に見られるサンゴ石でできた石柱群であり、古代チャモロ民族最古の遺跡である。未だに何に使用されていたのか解明されておらず、多くの学説がある中で、優れた建築技術を持っていた当時のチャモロ民族が住居などの建造物の基盤として使用していたと一般的に考えられている。サイパンのシンボルとして国旗のデザインにも使われており、島内の多くの場所でモニュメントとして飾られている。
関連項目
外部リンク