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旧ユーゴスラビアの民族分布(2008年)。ピンクがクロアチア人。
クロアチア人(クロアチア語:)は、主としてバルカン半島北西部のクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナに在住する南スラブ人。クロアチア語話者であり、主にカトリックを信仰する。血統や言語はセルビア人と同じだが、後に宗教の違いにより別民族とされる。
歴史
クロアチア人は7世紀ごろセルビア人やスロベニア人とともにバルカン半島北西部に下った。東ローマ帝国の支配を経験したのち、9世紀半ばに独立国を形成する。11世紀からハンガリー王がクロアチア王位を兼任したが、15世紀後半クロアチアはセルビア・ボスニアとともにオスマン帝国の指導下に置かれる。17世紀オスマン帝国の衰退期には、クロアチア人の在住地はヴェネツィア共和国・オスマン帝国・オーストリア帝国の3勢力に分断された。
19世紀からクロアチア人コミュニティのほとんどがオーストリア帝国(1867年からオーストリア・ハンガリー帝国)の領域に入ったが第一次世界大戦でオーストリアが敗北したためクロアチア人コミュニティはすべてセルビア(ユーゴスラビア)領となる。セルビア人主導の国家体制で市民権を制限されたクロアチア人はユーゴに対する不満を増大させていった。1939年ユーゴスラビアの一部がクロアチア自治州となるがセルビア人との溝は埋まらなかった。クロアチアはドイツと関係を強くして、1941年クロアチア人の多く在住する地域を中心にクロアチア独立国を形成する。
だがクロアチア独立国は事実上ナチスの傀儡国家であったので、ユーゴスラビア共産主義者同盟のヨシップ・ブロズ・チトーにより独立を取り消されクロアチアはユーゴスラビアに復帰する。チトーは祖国解放の功績からクロアチア人のみならずセルビア人などユーゴスラビア国内の他民族からも尊敬を集めた。
チトー没後再びクロアチアでは独立の機運が高まり1991年スロベニアと共に独立を宣言。長期にわたる戦闘の末独立を勝ち取ったが、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境付近に存在するセルビア人コミュニティが無視できず、ユーゴスラビア連邦軍との戦闘が終結したあとも小規模な戦闘が1995年まで続いた。このとき多数のセルビア人がクロアチアを追われてセルビアなどに移住したので、現在クロアチア国内におけるクロアチア人の人口比率は独立直後に比べて高くなっている。
関連項目
クロアチアの民族
セルビアの民族
ボスニア・ヘルツェゴビナの民族
モンテネグロの民族
スラヴ