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オレステス・キンデラン(Orestes Kindelan, 1964年1月7日 - )は、キューバ野球選手(内野手)である。野球キューバ代表クリーンナップを担うことが多かった。

経歴


キューバの野球選手は、キューバベースボールアカデミーを卒業した後国内リーグに割り振られ、公務員として扱われる。キンデランは若いうちには注目されなかったが、国内リーグで徐々に頭角を現すようになった。1992年バルセロナオリンピックで初めてキューバ代表に選出され、以後アトランタシドニーと3大会連続でオリンピックに出場。中軸打者として金メダル2個、銀メダル1個獲得に大きく貢献した。

キューバは共産主義国家であるため、海外のプロリーグでキューバ人プレーヤーが契約することはできなかった。特にキューバとアメリカとは正式な外交ルートがなく、キューバ人プレーヤーがメジャーリーグでプレーするには亡命することが必要であり、キンデランは「キューバのために戦う」と亡命することはなかった。また、日本のプロ野球チームも獲得に動いたことがあったが、同様に拒絶した。

アトランタオリンピック前後、キューバは方針転換をし、金儲けを目的としないのであれば国外におけるプレーを認容するようになっていた。キンデランも2002年、過去からキューバ人を受け入れてきたシダックスに、アントニオ・パチェコとともに入団した。シダックスでの背番号は46。なお、同時期にプロ野球中日に入団したオマール・リナレスも、あくまでも野球の研修という名目で、年俸は二軍選手並みであった。

2002年秋に監督に就任した野村克也は当初、キンデラン、パチェコともに高齢(38歳)であったことから「期待はしていない」と言明していたが、野村の打撃指導により復活、試合を通してなお豪快な打撃を見せたことから野村もキンデランを4番DHに据え、「打撃の中心」と評するに至った。

2003年に行われた第74回都市対抗野球では、キンデランは全試合でに4番で出場して4本塁打を放ち、外国人として史上初めて「久慈賞」(敢闘賞に該当する)と「打撃賞」を受賞した。

2004年オフ、高齢からくる体力の衰えを理由に引退を表明、パチェコとともにキューバに帰国した。この年のシーズン後半、キンデランは下半身に故障を抱え、満足に走ることもままならない状態だった。

キンデラン在籍中、シダックスは2年とも都市対抗野球東京第1代表を勝ち取っていたが、2005年は東京2次予選で第2代表となり、野村は「投打の柱(投手は巨人に入団した野間口貴彦、打者はキンデラン)が抜けたことでチームが小粒になった」と嘆いた。

2大大会における通算成績

|- align="right"
| 合計 || || || 10 || 40 || 13 || 5 || 11 || 5 || 3 || .325
2003
シダックス
都市対抗
2004
シダックス
都市対抗
3
日本選手権

キューバ国内リーグ打撃成績(21シーズン)


主な表彰・タイトル


関連項目



キューバの野球選手
キューバのオリンピック金メダリスト
シダックス野球部の選手
1964年生
存命人物



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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