遺言について考える
民法
相続
遺贈
遺書
遺言の方式の準拠法に関する法律
相続税法
遺留分
争族
贈与
遺言
全ての人に訪れる死。訪れる前に大切な人へのメッセージをしっかりと残しておきたいと思います。
お勧めリンク
商品検索
商品リンク 遺言 民法 相続 遺贈 贈与 相続税法 日本民法 遺言書
エヴォラ (Évora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町である。人口は、55,619人。面積は、1307.0平方キロメートルであり、スペイン国境に近い。
ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもある。1584年9月には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街でもある。
歴史
ローマ時代
アレンテージョ地方は、テージョ川の南に広がる平野地帯であり、エヴォラは、河口に位置するポルトガルの首都リスボンより東に約130kmの所に位置している。旧市街の史跡の保存状態も良く、UNESCOの世界文化遺産に登録された。エヴォラの歴史は、ドウロ川以南のポルトガル及びスペインのエストレマドゥーラ州に居住していたイベリア半島の先住民族であるルシタニア人()が建設したことに始まる。彼らによって、アレンテージョ地方の首都として機能をエヴォラは持つこととなった。
紀元前57年、エヴォラは、共和制ローマの支配下に入った。これ以降、エヴォラは2重の城壁を持った町へ発展を遂げた。ガイウス・ユリウス・カエサルは、エヴォラの町を「Liberalitas Julia(肥沃なるジュリア)」と呼んだ。町の成長は、エヴォラが交易路の交差点であったことからも続き、ガリア、ルシタニアを旅行した博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)も、エヴォラを訪問し、著書『博物誌』に「Ebora Cerealis」として、記述した。その記述によると、当時のエヴォラは、周囲を小麦畑で囲まれていたことが分かる。また、エヴォラの繁栄は、この当時に多く発行されたコインでも明らかである。町の中心部には、コリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られた。
ローマからイスラームへ
4世紀になると、エヴォラにもキリスト教が浸透し、司教座を持つようになった。その名前は、クインティアヌス(Quintianus)と呼ばれた。民族移動時代の間、エヴォラは、西ゴート族の領土となった。エヴォラの地位は、聖堂を持つ都市へと昇格していた。とはいえ、この時代の建造物は多く残されていない。
715年、ターリク・イブン・ズィヤード率いるムーア人が、エヴォラを征服した。イスラームの統治は、1165年にまで及んだが、エヴォラはゆっくりとではあるが、繁栄を取り戻していった。エヴォラは要塞とモスクを持つ町となり、この地方の農業の中心地となった。エヴォラの町の特徴は、ムーア人の影響を受けている。
レコンキスタ以降
1165年9月、キリスト教徒のジェラルド豪胆王?()の攻撃を受けた。翌年、エヴォラは、アフォンソ1世の統治下に入った。その後、15世紀にかけて、ポルトガルは経済的繁栄を築くが、ブルゴーニュ王朝・アヴィシュ王朝の時代を通して、ポルトガル国王はエヴォラに滞在することが多く、邸宅や記念碑、宗教的建築物が建設された。エヴォラでは、王族の結婚式が行われ、また、重要な決定もしばしば行われた。特に、アヴィシュ王朝時代、とりわけマヌエル1世やジョアン3世が統治した15世紀後半から16世紀の前半にかけて、エヴォラはルネサンスの中心となり、フランス人彫刻家のニコラ・シャントレーヌ()やポルトガルの戯曲の父であるジル・ヴィセンテ()といった芸術家が集まった。
エヴォラは、1540年に大司教座に昇格した。1559年には、イエズス会によってエヴォラ大学が創設された。イエズス会の影響の下、エヴォラは対抗改革の中心となり、スペインのクエンカで生まれたルイス・モリーナ()などが、ここで宗教教育を受けた。
1759年、ポンバル侯爵がイエズス会をポルトガルから追放し大学が閉鎖されると、エヴォラは徐々に衰退していった。(なお、エヴォラ大学は1973年に再建された。)
多くの芸術家によって、たくさんの建物がエヴォラの地に建設された。現存する建築物の様式は多様性に富んでおり、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築、バロック建築と様々である。
現在、歴史地区の範囲は1.05平方kmであり、約4000の建物がある。
世界遺産
エヴォラの旧市街は、1986年、「エヴォラ歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録された。
UNESCOのリストによると32の物件によって構成されている。以下にその一部を記す。
主な世界遺産物件
- アグア・デ・ラプラタ送水路(Água de Prata Aqueduct)--1531年から1537年にかけて、ジョアン3世の手によって建設された送水路。ベレンの塔を設計したフランシスコ・デ・アルーダが9kmに及ぶ送水路を設計した。この送水路は、ジラルド広場が終点である。
- エヴォラ大聖堂(Cathedral of Évora)--1280年から1340年の間に主に建設されたエヴォラの誇る大聖堂。1335年頃に作られた使徒の像を伴った入り口と美しい教会堂の身廊()と回廊を持つ。(十字形教会堂の左右の)翼廊のチャペルの1つは、マヌエル様式であり、メイン・チャペルは、バロック様式である。また、パイプオルガンと聖歌隊用の部屋はルネサンス様式である。
- エス・ブラス・チャペル(S. Brás Chapel)--1480年に建設されたムデハル建築とゴシック建築が融合した一例である。
- サンフランシスコ教会(Saint Francis Church)--15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて建設されたゴシック様式とマヌエル様式が混合した建築物である。長い身廊は、ゴシック建築末期の傑作である。多くのチャペルがバロック様式で装飾されている。
- ヴァスコ・ダ・ガマ邸宅(Palace of Vasco da Gama)--1519年から1524年の5年間、ヴァスコ・ダ・ガマは、エヴォラに滞在していた。マヌエル様式の回廊とルネサンス様式の絵画が現存している。
- カダヴァル公爵邸(Palace of the Dukes of Cadaval)--14世紀に出来た建築物で、17世紀にファサードは改装されている。
- ロイオス教会(Lóios Convent and Church)--ディアナ神殿の隣にある15世紀に建築された教会。教会と回廊はゴシック様式を採用し、内壁はアズレージョ()と呼ばれるタイルワークで飾られている。
- Ladies' Gallery of Manuel I's Palace--マヌエル1世によって建てられた邸宅。ゴシック様式とルネサンス様式が融合した建物であり、ヴァスコ・ダ・ガマがここで、インドへの航海を任命されたと伝えられている。
- ディアナ神殿(Roman Temple)--前述の通り、1世紀に皇帝アウグストゥスを祀るために作られた神殿である。
- エヴォラ大学(University of Évora)--前述の通り、1559年に建設されたイエズス会の神学校を起源とする。16世紀のマニエリスムの教会と17世紀から18世紀にかけて建設された巨大な回廊がある。
- ルネサンス時代の泉(Renaissance fountain at Largo das Portas de Moura)--1556年に作られたルネサンス様式の泉。
- ジラルド広場(Giraldo Square)--街の中心部であり、ドゥアルテ1世が建設したゴシック建築の建築物が現存している。
- アルメンドレス環状列石遺跡()--エヴォラから15キロメートルのところにある巨石記念物
- ザンブジェイロ巨石遺跡()--エヴォラから10kmのところにあるドルメン。
世界遺産登録基準
ギャラリー
Image:Praca do Giraldo, Evora, Alentejo, Portugal, 28 September 2005.jpg|ジラルド広場
Image:Roman temple, Evora, Alentejo, Portugal, 28 September 2005.jpg|ローマ時代のディアナ神殿
Image:Evora23.jpg|サン・フランシスコ教会
Image:Evora.aqueduct.jpg|アグア・デ・ラプラタ送水路
Image:Evora49.jpg|エヴォラの風景(アグア・デ・ラプラタ送水路を望む)
Image:Evora-Street2.jpg|旧市街