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ウィーン国立歌劇場(-こくりつかげきじょう、 ヴィーナー シュターツオーパー、ドイツ語の原音から「ヴィーン〜」とも→ヴ(Vの日本語表記)参照)はオーストリアのウィーンにある歌劇場。1920年まではウィーン宮廷歌劇場と呼ばれていた。レパートリーシステムをとる。
①ウィーンはドイツから北イタリアを支配していた神聖ローマ帝国の首都であったため、ドイツ・オペラのみならずイタリア・オペラにとっても中心的存在であった
②専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団が、世界でも一、二の人気を争う(英「グラモフォン」誌や日本「レコード芸術」誌のオーケストラ・ランキングでは常に3位以上を維持、歌劇場管弦楽団を兼ねる団体でこの位置に入った例は他に無い)オーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体である
③歴代の総監督には作曲家であるリヒャルト・シュトラウスやグスタフ・マーラーも就任している。その他の総監督もその時代を代表する指揮者である。ヨハン・シュトラウス2世も指揮している。
ことからもわかるように、他の追随を許さない、世界最高の歌劇場である。ドイツオペラとイタリアオペラの両方をカバーするという点では、逆の立場(オーストリアの支配を受けていた)にあったミラノのスカラ座にも同様の性格はあるが、古くからイタリア人スター歌手も多く専属化するなど、ウィーンの国際性は一段と徹底している。
劇場はウィーンの中心部、ケルントナー通りとリング通りの交点に面して建てられている。ネオ・ロマンティック様式の建屋は建築家エドゥアルト・ファン・デア・ニュル(意匠)とアウグスト・シカート・フォン・シカーズブルク(構造)によるもの。
建設当時はひどく批判されたが、1869年5月25日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の上演でこけら落しを行った。その後は総監督でもあった作曲家リヒャルト・シュトラウスのナクソス島のアリアドネ(1916年10月4日)や影の無い女(1919年10月10日)の世界初演が行われている。
第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われた。モーリツ・フォン・シュヴァイエのフレスコ画のあるホワイエと正面階段、連廊、それに喫茶室は焼失を免れたが、120作のオペラ上演のための舞台装置と大小道具のほぼ全て、15万着もの衣装が失われた。このため国立歌劇場はウィーン・フォルクスオーパー(1945年5月1日から6月14日まで)およびアン・デア・ウィーン劇場(1945年6月18日から1955年8月31日まで)を仮の拠点とした。また、従来ウィーンの上演と連携したプロダクションを上演していたザルツブルク音楽祭は、これにより独自のプロダクションを作るようになった。
再建した客席数2,200名の劇場は、再び総監督に就任したカール・ベームの指揮によるベートーヴェンの『フィデリオ』によって1955年11月5日に再開した。
作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)もこの歌劇場で活躍した数多くの高名な指揮者の一人である。マーラーはアナ・バール・ミルデンブルク(1872-1947)、セルマ・クルツ(1874-1933)、レオ・スレザーク(1873-1946)ら新しい世代の歌手を積極的に登用し、また舞台デザイナーを雇用して伝統的で豪華な舞台装置をモダニズムやユーゲントシュティール風の様式の簡素なものに置き換えた。さらに上演中に客席の照明を落とす慣行を作ったのもマーラーである。これは当初は聴衆の不評を買ったものの、後継者らはこの改革をそのまま続けた。『フィデリオ』のフィナーレでの舞台転換の時間をかせぐために、「レオノーレ序曲第3番」を挿入するアイデアもマーラーによるものである。フルトヴェングラーも「レオノーレ序曲第3番が演奏されるのに相応しい場所がある。マーラーによって打ち出されたウィーンの伝統に従うことにもなるのだが、それは第2幕の長い「牢獄の場」が終わったところである。この箇所に「レオノーレ」序曲を置くならば、それは「神々の黄昏」でジークフリートの死に続く「葬送行進曲」が占めるのと同じような意義を獲得するであろう。序曲は過去への追憶となり讃美となるのである。」と述べており(「音と言葉」)、ウィーンの指揮者(例えばカール・ベームのベルリン、パリ、ニューヨークでの客演上演の録音で確認できる)はこの伝統を守っている。そこで今ではウィーン以外の歌劇場でも慣習化している。また、マーラーはそれまでオペレッタを上演することがなかったウィーン宮廷歌劇場でヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「こうもり」を正式にレパートリーとした(1897年)。さらに、ウィーン宮廷歌劇場で上演するバレエ曲(「灰かぶり姫」というシンデレラ物語)をヨハン・シュトラウス2世に委嘱したが、これは完成しなかった(「ヨハン・シュトラウス〜ワルツ王と落日のウィーン」小宮正安 中央公論新社)。
そのほかの高名な指揮者としては、ハンス・リヒター、フェリックス・ヴァインガルトナー、リヒャルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼール、カルロス・クライバー、クラウディオ・アバド、小澤征爾、リッカルド・ムーティ、フランツ・ウェルザー=メストらがいる。
ウィーン国立歌劇場はイタリアやその他の外国語作品も契約歌手によるドイツ語による上演を行ってきたが、カラヤンは客演歌手を招き原語上演する方針を導入した。これは、やはり訳詞上演が慣例化していたドイツその他の国の大歌劇場にも波及した。
歌劇場ではオペラやバレエの上演のほか、何十年にもわたって上流階級によるオペラ座舞踏会にも使用されてきた。
総監督
- ヨハン・ヘルベック (1870–1875)
- ヴィルヘルム・ヤーン (1881–1897)
- グスタフ・マーラー (1897–1907)
- フェリックス・ワインガルトナー (1908–1911)
- フランツ・シャルク (1918–1919)
- リヒャルト・シュトラウス / フランツ・シャルク (1919–1924)
- フランツ・シャルク (1924–1929)
- クレメンス・クラウス (1929–1934)
- フェリックス・ワインガルトナー (1935–1936)
- カール・ベーム (1943–1945)
- カール・ベーム (1954–1956)
- ヘルベルト・フォン・カラヤン (1956–1964)
- ロリン・マゼール (1982–1984)
音楽監督(楽長)
- ハンス・リヒター(1893-1900)/総監督はヴィルヘルム・ヤーン
- フランツ・シャルク(1900-1918)/総監督はグスタフ・マーラー
- ブルーノ・ワルター(1901-1913)/総監督はグスタフ・マーラー
- クラウディオ・アバド (1986–1991)/総監督はClaus Helmut Drese
- 小澤征爾 (2002–2010)/総監督はIoan Holender
- フランツ・ウェルザー=メスト (2010-)/総監督はDominique Meyer
関連項目
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - 世界随一の実績と知名度を誇る名門楽団。国立歌劇場専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーによる自主運営団体である。
- ウィーン国立歌劇場合唱団 - 1927年に創設された合唱団。
- ウィーン国立歌劇場少年少女合唱団 (グンポルツキルヒナー・シュパッツェン) - 1949年に創設された少年少女合唱団。1974年よりウィーン国立歌劇場と専属契約を結ぶ。
外部リンク
- ウィーン国立歌劇場(ドイツ語、英語、日本語)
オーストリアの歌劇場
オーストリア=ハンガリー帝国の文化
ウィーン