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アーリア人(Aryan)はイラン北部からトゥーラーンにかけてを出自とし、主にインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派(アーリア語派)に属する言語を話していた人々。
概要
イラン周辺集団(イラン・アーリア人)とインド集団(インド・アーリア人)がいた。その後はテュルク・モンゴル民族の勃興と中央アジア・北部インド・西アジア 支配によりさらに細かい複数の集団に別れ、それぞれが次第に独自の文化を形成していった為、民族集団としてのアーリア人はほぼ消滅した。現存する近縁の民族としてはパシュトゥーン人、ペルシア人、タジク人、北部インド人の幾つかの民族などがあり青木健「アーリア人」216ページ、彼らはアーリア人の末裔である。また、広義には彼らを指してアーリア人と呼ぶこともある。また、「イラン」という国名自体、ペルシア語で「アーリア人の国」を意味する。
この項ではイラン・アーリア人、インド・アーリア人と、それらの最も近縁な共通先祖だけをアーリア人と呼ぶ事とするが、アーリアン学説ではより広い意味でアーリア人という言葉を用いており、インド・ヨーロッパ語族に属する諸語を使う民族全般の祖をなすと想定された民族を指す。アーリアン学説における意味でのこのアーリア人を、この項では、アーリア人と呼ぶのではなく、アーリア人種と呼ぶ事にする。
アーリアン学説による広義のアーリア人、すなわちアーリア人種は多くの民族を子孫とするとして想定された。広義のアーリア人は元々インドに住んでいたが、中央アジアやイランへ広がり、更にロシアや東欧まで拡散した。Y-Chromosome distribution within the geo-linguistic landscape of northwestern Russia
これによると、アーリア人とは狭義のアーリア人(イラン・アーリア人とインドアーリア人とその最も近縁な共通先祖)、広義のアーリア人(狭義に加えて、現存する末裔諸民族)、最広義のアーリア人種(インド・ヨーロッパ語族そのものの共通祖先、またその子孫)という3つの見方が出来る。ただし、最広義のアーリア人種という概念や呼び方はアーリア人の成り立ちから考えて妥当ではなく、現在はほとんど否定されている。詳細はアーリアン学説の項を参照のこと。
さて下記の狭義のアーリア人は
司祭が社会的に重要な地位であった。
自然現象を神々として崇拝する宗教を持っていた。
語源と名称の変化
アーリアの語源は、サンスクリット語の「アリア (aria, arya, 阿唎耶)」、および、それがペルシャ語に取り入れられた「アリイア (ariia)」とされる。いずれも「高貴な」という意味で、他民族より「高貴な」民族と考えたアーリア人が自称した。古代ギリシア人がイラン高原をアリアナ地方 (Aryana)、当地の住民をアーリア人と記録しており、その頃には地中海東部地域でも既知の民族名だったと言える。
宗教
イスラム教以前のイランの宗教はマズダー教である。マズダー教の特徴として世界を善悪の二つの神のグループの戦いとしてとらえる。善神がアフラと呼ばれ、悪神はダエーワと呼ばれる。インドの宗教でも同様に、善悪の二つの神の戦いとしてとらえる部分がある。善神がデーヴァと呼ばれ、悪神はアスラと呼ばれる。
アフラとアスラ、ダエーワとデーヴァは同じ語源だと思われるが、善悪の意味が逆転している。したがって、アフラ・アスラを信仰するアーリア人はペルシアに定住して、ダエーワ・デーヴァを信仰するアーリア人がインドに定住したという説もあったインド神話とペルシャ神話。
ただし、実際にはインドでもヴェーダ時代にはアスラに属するヴァルナやミトラが重要な神格であり、善悪の逆転はインドとイランそれぞれの内部発展の差異に由来するものだと考えられている。
バラモン教
バラモン教は、インド・アーリア人が創り出した宗教である。
バラモン教が影響を与えた他の宗教
- 仏教は、バラモン教の風土を土台に釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が修行の後に悟った真理で、釈迦の死後にバラモン教の一部を取り込んでいる。
- ヒンドゥー教は、バラモン教を土台に、その他の宗教を取り込んで再構成されたものである。
- ジャイナ教は、仏教と同時期にヴァルダマーナによって提唱された教えで、より徹底した不殺生を説く。なお仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の三者は成立以降、互いに影響し合って発展してきた経緯がある。
- シク教は、ヒンドゥー教とイスラム教の宥和を目指して構築されたもので、両者の教義を取り入れている。
アーリア人と関連した出来事
- インド
- 中央アジア
** 紀元前2500年頃には、アーリア人種のものと思われるアンドロノヴォ文化や類似する様式がアラル海やキプチャク草原、南西のトルキスタンで見られる。東トルキスタンでは紀元前4000年頃より遊牧が始められていた。
- 紀元前10世紀頃より、インド北西部から東のガンジス川に向かって移動するにつれ、宗教的な融合も始まる。後にアーリア人は、言語と宗教により認識されるようになる。
- 紀元前5世紀頃になり、ヴェーダが完成し、バラモン教の宗教的な形式が整えられる。
- 紀元前5世紀に成立した仏教がブラフミンの特殊性を否定したため、ブラフミンの支配を良く思わなかった王族クシャトリヤ階級に支持され、ブラフミンの地位は落ちて行く。
- 4世紀、新しい王の支持を受け、バラモン教を発展・継承するヒンドゥー教が作られる。
脚注
文献
外部リンク
- 『アーリア人』青木健千夜千冊 連環篇
関連項目
- アーリアン学説
- 名誉人種 - 名誉アーリア人
- 長谷川アーリアジャスール