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アングルシー島 (, 古典語:, ウェールズ語:)は、ウェールズ北西岸に接する島。ウェールズ語を話す人口が優勢である。本土との間にメナイ海峡があり、1826年建造のメナイ・サスペンション橋と新たに建設されたブリタニア橋の二つが架かっている。
アングルシーは、ホリー島や周辺の小島を含む連合王国の州の一つである。面積は715平方キロメートルで、ウェールズ最大、イギリスでは第5位の島である。
ローマ時代から鉛、亜鉛、鉄などの鉱山が栄えていた。硫酸鉛鉱(Anglesite、PbSO4)は本島で発見されたことから命名された。
歴史
有史以前の巨石やメンヒルが現在でも残る。歴史的に、アングルシーはドルイド僧に長く支配されてきた。古代ローマ帝国の侵入と破壊によりドルイドはその地位を追われ、神殿や神聖な場所が破壊された。抵抗運動がやみ、正式に帝国の一部となったのは、グネウス・ユリウス・アグリコラが総督を務めていた78年のことであり、ローマ人たちは島を『モナ』(Mona)と呼んだ。Mônとはウェールズ語でのアングルシー島の名前であるが起源はローマ支配下にさかのぼる。英語での名前は古ノース人からもたらされた『オングル島(Ongull's Island)』である。古ウェールズ語ではYnys Dywyll ("暗い島")であった。かつて島は本土の一部であった。61年にドルイドにより一時奪い返されるが、78年に再びローマ領となった。現在、道はホリーヘッドからLlanfairpwllgwyngyllまでローマ時代のものが確認されている。また、硬貨や装飾品が発掘され19世紀のロマン派の時代に議論されていた。
4世紀後半にローマ支配が終わり、5世紀初めにはアイルランド海賊によって植民地化された。ブリテン島から発生したブリトン人がアイルランドを駆逐した。470年に残党が一掃されるまで戦いが続いた。853年にデーン人により荒廃させられた後、13世紀にイングランド海軍がやってくるまでそのままであった。
ローマ人の後、ヴァイキング、サクソン人、ノルマン人が侵入し、13世紀にイングランド王エドワード1世の手に落ちた。
気候・経済
アングルシー島は平坦な島である。多くの小さな町が島の至る所にある。東岸は良質の砂浜があり、北岸は断崖が続く。18世紀には石炭採掘が主産業であったが、現在は観光業と農業収入が主である。島の気候は温暖であるが、湾岸にふく強風に左右される。これを生かし風力発電のタービンが20以上稼働しており、電力会社が注目している。地味は過去に比べて多様性に富む。北岸には原子力発電所(2010年閉鎖予定)がある。アルミニウム精製、化学工業、養殖漁業も行われている。年間およそ2百万人の観光客が、北ウェールズやイギリス北部方面からやってくる。短期滞在にしろ観光にしろ、多くは良質の砂浜と海岸線の光景を満喫している。余暇の過ごし方は、セイリング、サイクリング、ウォーキング、ウィンドサーフィン、水上オートバイ、魚釣りなどである。
アイルランド・イギリス間フェリー航路の寄港地である。
西岸には2000m級の滑走路を有するアングルシー空港があり、自治体により運営されている。民間空港と共用でイギリス空軍の基地であるRAFバリーが設けられており、BAe ホークを用いたジェット機操縦訓練およびヘリコプターによる捜索救急に利用されている。(イギリス王室の継承順位2位であるウィリアムが、同基地で活動する第22飛行中隊C小隊に配属されSH-3 シーキングの副操縦士として捜索救急任務にあたっており、ケイト・ミドルトンとの結婚後も一緒に暮らしていて、連日テレビ局の取材などが多数押しかけている。数年間を島で暮らすと見られている。)