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グリンデルヴァルトとアイガー
オーバーランド三山
左からアイガー、
メンヒ、[[ユングフラウ]]

アイガー (Eiger) は、ベルニーズアルプスの一峰でスイスを代表する山。標高は3,975 m。

ユングフラウメンヒと並び、いわゆるオーバーランド三山の一つとされる。アイガー北壁は、高さ1800mの岩壁で、グランドジョラスの北壁、マッターホルン北壁とともに、困難な三大ルートの一つとして知られ、三大北壁と呼ばれている。1935年1958年までに25回の登頂が試され、死者が15名に及んだものの、13回67名が登頂に成功している。

登頂歴


  • 1858年8月11日、チャールズ・バリントンとガイド2名が初めて登頂に成功する。
  • 1871年7月14日、南西稜からの登頂に成功。
  • 1876年7月31日、南尾根からの登頂に成功され、北東山稜だけが未踏破となる。
  • 1921年9月10日、日本槇有恒の隊によって北東山稜から初登頂する。その成功はアルプス登山史上に一期を画しただけでなく、日本の登山に大きな影響を与えた。

北壁の登頂歴


登頂まであと300mと言うところで、パートナーの渡部恒明が墜落・負傷したため救助を求める際に山頂を経由した際に達成。しかし渡部はその間に謎の墜死を遂げた。一説には骨折の痛みと孤独に耐えきれずに自らザイルを解いたとも言われている。これをもとに新田次郎は「アイガー北壁」という小説を書いている。

冬期直登ルートが夏場通れないため、「赤い壁」を経由、現在でも最短直登ルートとして名が残っている。加藤滝男が山頂直下でザイル無しで墜落したが運良く固定ザイルに引っかかって九死に一生を得た。

  • 1970年1月27日森田勝・岡部勝・羽鳥祐治・小宮山哲夫 (アイガー北壁冬季日本人初登頂)
  • 1970年3月21日、遠藤二郎・星野隆男・小川信之・三羽勝・嶋村幸男・高久幸雄・深田良一(アイガー北壁冬季直登日本人初登頂 (ジョン・ハーリン・ルート)
  • 1977年3月9日長谷川恒男が冬季単独初登頂。ヨーロッパのみならず、世界中の登山家を驚愕させた。

アイガーを舞台とした作品


アイガーの姿




File:KleineScheidegg.jpg|クライネ・シャイデック峠から
File:Eiger met Grindelwald, Zwitserland.jpg|グリンデルヴァルトとアイガー
File:Eiger NE NW FromEastOfGrindelwald.jpg|北壁を間近から
File:North face.jpg|北壁を正面から

関連項目




スイスの山
アルプス山脈の山



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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